2025年09月

時計に何が付いているかではなく本体に注目する傾向がある。

これらはすべて、目の前にあるものを評価するときのチェックリストの一部であるのは事実だ。しかし、その時計がおもしろそうなブレスレットに付いていて、さらにその手がかりが見つかりそうなら、それは珍しい時計というだけでなくレアなアクセサリーも手にしたという可能性がある。今日、間違いなく最も有名なブレスレットサプライヤーであるゲイ・フレアー(GayFrères)社を調査したが、それは時計のブレスレットにとどまらない、素晴らしいストーリーを持っていることがわかった。


クラスプにはゲイ・フレアーの特徴的なエングレービングが施されている。

 ヴィンテージウォッチを手に取り、ブレスレットのクラスプに刻印された“G”と“F”の文字、そしてそのあいだにある羊の胸像が確認できたら、そのブレスレットはオリジナルである可能性が高い(少なくとも同時期のもの)。その昔、時計メーカーに製品を供給していた人たちの名前と同じように、時間が経てば、線は柔らかくなり、刻印も目立たなくなり、それらも色あせてしまうだろう。しかし、これは20世紀を代表する金属加工業者によるブレスレットで間違いない。今日、オークションカタログに掲載された、“ゲイ・フレアーのオリジナルブレスレットが付属”した時計の物語である。

The Bonklip (far left) for Rolex and the evolution of the Oyster bracelet.
ロレックスのボンクリップ(左端)と、進化していくオイスターブレスレット。

 ロレックスの初代のブレスレットは、当時ブレスレットサプライヤーとして有名なゲイ・フレアーが手掛けたことについては説明した。時計の世界に足を踏み入れるには悪くない方法だろう? ロレックスのために、ゲイ・フレアーは1930年代初頭からボンクリップ・ブレスレットを大量に注文していたのだ。

 これらは伸縮自在なうえ、非常に快適で堅牢だった。また、ゲイ・フレアーのような専門知識を持つメーカーにとって、大規模に生産するのもとても簡単だった(詳細は後述する)。これは当時流行していたスタイルであり、他社も同じデザインをロレックスに供給してきたが(実際にそうしていた!)、GF(ゲイ・フレアー)のつくりのよさのほうがいちばん印象に残った。


この広告はボンクリップのメリットのひとつである、さまざまな手首のサイズにフィットすることを強調している。

 これらのステンレススティール製ブレスレットがもともと頑丈であるならば、ゲイ・フレアーを魅力的なパートナーにしているのは、デザイナーのオリジナリティにある。20世紀のあいだ、同社はSS、ゴールド、プラチナをもとに、あらゆる形やサイズのブレスレットをつくり、当時のさまざまなファッションを完璧に捉えた製品を提供することができた。特にアール・デコ時代のものは種類が豊富かつ芸術性に優れていた。国境を越えたフランスのメゾンであるカルティエが、1920年代から30年代にかけてそのスタイルのセンスを証明した一方で、ジュネーブに拠点を置くこのブレスレットサプライヤーも同様のセンスを示した。興味深いことに、1930年代にSSケースが流行したことで、ゲイ・フレアーは成功を収める。この金属は当時、ゴールドよりもかなり加工が難しく、多くの専門的な職人技が必要とされたため、ゲイ・フレアーが特別な専門技術を有していた分野のひとつであったことは間違いない。


 ほぼ間違いなく、ゲイ・フレアーはジュネーブの名だたるマニュファクチュールのために、その最高傑作を製作した。1940年代から50年代にかけて、同社はふたつの近しいブランド、パテック フィリップとヴァシュロン・コンスタンタンの時計の品質に見合ったブレスレットを供給していた。パテックでは写真のライスブレススタイルの汎用性を証明し、シンプルなSSカラトラバやローズゴールドのパーペチュアルカレンダーと組み合わせている。忘れてはならないのは、オークションで落札された史上最高額の腕時計(1100万ドル/当時の相場で約11億9670万円のSS製パテック フィリップ Ref.1518)の新しいオーナーの手首に巻かれるのがゲイ・フレアーのブレスレットだということだ。素晴らしい個体も同じリファレンスだろうか? ブレスレットもゲイ・フレアー製のものが多い。

The 1518 from Patek Philippe, introduced in 1941, was Patek's first perpetual calendar with chronograph, ever.
1941年に発表された、テック フィリップの1518は、パテック初のクロノグラフ付き永久カレンダーである。

 しかしゲイ・フレアーの素晴らしさは、ドレスウォッチに合うブレスレットとスポーツウォッチに合うブレスレットを区別する非常に細かいニュアンスを理解していたことだった。ある領域から別の領域へと設計を適応させることができるのは重要なことだった。


ゲイ・フレアーのブレスレットが付いた1969年頃製のホイヤー Ref.2447SN。2016年のフィリップスで4万スイスフラン(当時の相場で約445万円)で販売された。

 1960年代から70年代にかけて、一部のメーカーがクロノグラフをはじめとするフェッショナル向け腕時計の製造に注力するようになると、ゲイ・フレアーは新しいデザインを選ぶようになり、オイスターのような巻きブレススタイルで両端を挟んだライスブレスレットをホイヤーなどの企業に提供した。これは初期のカレラやオータヴィアを含むいくつかのモデルに当てはまるが、ノバビット S.A.(NSA)社のブレスレットを使用したモナコには当てはまらなかった。ホイヤーもロレックスと同様、複数のサプライヤーを抱えていたのだ。


ヴィンテージのゼニスクロノグラフで見られる、有名なラダーブレスレット。

 一方でゼニスは自社製クロノグラフ、エル・プリメロ用にラダー(梯子)ブレスレットと、ホローリンクブレスレットの両方を発注していた。つまり1969年時点のGFは、別々の会社が作ったと思われるほどデザインの異なるブレスレットを、互いに直接競合するメーカーに供給していたほど悪名高かったということである。特にラダーブレスレットはゼニスを象徴するものとなっており、GFのデザインであることすら知らない人もいるほどだ。これらは確かに時計に独特の外観を与えた。そのためオリジナルブレスレットが外された状態で市場に出回ることが多く、現在ではSS製であっても、単体だと2000ドルから3000ドル(当時の相場で約23万~35万円)の値がつく。


ゲイ・フレアーは、いつでもブレスレットの幅広い選択肢を提供していた。

 1970年代には、エレガントなデザインと力強いデザインの繊細なバランスが、パテック フィリップのようなかつての顧客だけでなく、SSを扱ったことのない時計職人を含む、より確立された大企業を引きつけた。ロイヤル オークが登場する前のオーデマ ピゲは複雑なドレスウォッチを製造していたマニュファクチュールであり、そのすべてが貴金属でできていたため、最初の一体型ブレスレットのデザインは非貴金属に関するGFの専門知識に大きく依存していたのだ。その4年後、パテック フィリップがノーチラスを発売したときも同じだった。

 実際、1976年にゲイ・フレアーは、オーデマ ピゲやパテック フィリップよりもずっと大きな規模になっていた。ジャック=ユベール(Jacques-Hubert)とジャン=フランソワ・ゲイ(Jean-Francois Gay)の兄弟が家族経営していたこのブレスレットサプライヤーは、ジュネーブで最大かつ最も専門化された工場であり、500人以上のスペシャリストが在籍していたのだ。


ロイヤル オークとノーチラスは同じジェラルド・ジェンタ(Gérald Genta)を父に持つだけでなく、ブレスレットのサプライヤーも同じであった。

時計のブレスレットが登場するまで
ジャガー・ルクルト、ユニバーサル・ジュネーブ、ティソ、IWC、エテルナなど、ゲイ・フレアーの持つ輝かしい顧客リストは挙げればきりがない。しかし、ゲイ・フレアーの重要な点は見過ごされがちである。まずは設立された1835年に遡る。この年代は19世紀前半には腕時計が存在しなかったことを考えると、ゲイ・フレアーが最初から腕時計のブレスレットメーカーではなかったことを示している。実際、ゲイ・フレアーはブレスレットメーカーとしての地位は確立しておらず、ロレックスの傘下(1998年に買収)となった今もそうだ。


ゲイ・フレアー製のもうひとつの種類のブレスレットと、それと揃いのネックレス。Courtesy: Piguet Auction house

 ゲイ・フレアーは、フランス語で懐中時計用のチェーンを製造する会社を意味するチェイニストとして生まれる(16世紀に起きたペンダント需要はそののち3世紀後に復活し、1920年代のペンダントトレンドでは頂点に達した)。1942年の“Montres Et Bijoux de Genève”誌の記事によると、ジュネーヴはチェイニストの質の高さが非常に有名で、北イタリア、トルコ、バルカン諸国では、チェイニストのリンクが通貨価値を決めていたほどだった。懐中時計が腕時計にその座を奪われると、チェイニストはチェーンに加えてブレスレットも提供しなければならなかった(生き残ったところもあるが多くは廃業した)。貴重なネックレスやブレスレットが自然に広まる一方で、ゲイ・フレアーは指輪を含むほかのクラシカルな宝飾品も提供していて、そのうちのひとつが時計のブレスレットのクラスプで見られる、羊をモチーフにしていた。


ゲイ・フレアーの古い広告では、ブレスレットと時計用ブレスレットについて、同様の構造を示していた。

 これは現在ではあまり知られていないゲイ・フレアーの一面であるが、当時同社が推進した最大のビジネスのひとつであった。権威あるジュネーブの展示会、モントレ・エ・ビジュー(Montres et Bijoux)の年間カタログを見るとよく理解できる。ゲイ・フレアーは常に洗練されたネックレスや華美なブレスレットをいくつか展示していたが、当時大量に製造していた“一般的な”腕時計用ブレスレットは一切展示していなかった(そのため、バーゼル見本市には参加していた)。もちろん、これらの格調高い作品によってGFは、自動車業界がコンセプトカーを製造するかのように、同社が実現できる職人技をわかりやすく示すことができたと言えるが、正直なところ、これはショーのためだけに作られた逸話的な作品ではなかった。

Gay freres 1969
1969年の非常に遊び心のある例。この小さなジュエリーは、ラウンドエンドにゴールドを使った革新的な処理で、その年に賞を受賞している。

 現在、ピアジェのために信じられないほど薄いブレスレットをつくっている、かつてのゲイ・フレアーの従業員に話を聞いてみると、彼らの技術を形作っていたのはジュエリーであり、それにより高度な時計用ブレスレットが考案できるようになったことがわかった。あるいは、とあるベテランが説明していたように、ロイヤル オークのブレスレットの仕上げでさえ、何人かの有資格労働者が次々と介入してくるような作品を定期的に作るのに比べれば、簡単に感じられたのだ。そして、ちょっとしたミスが原因で、アイテムを溶かして1からプロセスをやり直さなければならなかったことが多いことも知っておく必要がある。これは間違いなくチームワークの素晴らしさをあらためて認識させるものだ。ゲイ・フレアーのこの側面は、伝統的な時計製造と同様、細かな作業が重要な世界であることを明らかにした。

今日において時計で最も酷使され、誤解されている部品のひとつだ。

ヘリウムエスケープバルブは、今日の時計で多用されていながらあまり理解されていない部品のひとつである。あっても損はないが、その機能は極めて特殊であり、(わざわざ腕時計を着用するような)商業ダイバーでなければまったく意味をなさない。今こそこれまでの迷信を断ち切るときだ。ここでは、ヘリウムエスケープバルブについて説明しよう。

ブランドの大小を問わず、ケースに余分な穴を開けてこれらの時計の極限性能を誇示し続け、多くの場合はこの部品をより深い深度やより安全なダイビングに結びつけて誤認を誘っている。その一方で、多くの純真な時計購入者たちはヘリウムエスケープバルブのないダイバーズウォッチはどこか劣っていると思い込み、そのためにほかの何よりもこの機能を求めるのである。

ShearTime経由で撮影した、エスケープバルブ機構を備えるシードゥエラー。

チェーンフュジーやトゥールビヨンなど計時精度の向上を目的とした複雑機構とは異なり、ヘリウムエスケープバルブはごくシンプルな機構だ。基本的には、強力なスプリングにプラグ、そして良質なゴム製ガスケットで構成される一方向の圧力逃し弁である。まったく複雑じゃない。

 

1960年代にアメリカ海軍のダイバー、ボブ・バース(Bob Barth)の提案から、ロレックスがシードゥエラー用に特許を取得してヘリウムエスケープバルブを開発したとき、ダイバーズウォッチは水深計や水圧計と並んで正当な計器として使われていた。ロレックスはSEALABやCOMEX所属のダイバーをはじめとした、急成長していた商業ダイビングの分野で活用されていた。ダイビングベルと海中作業基地が使用され始めたばかりのころのことである。商業ダイビングで使用される乾燥した加圧室内に長時間滞在すると、時計内にヘリウムガスが蓄積され、その結果風防が弾け飛んでしまうという問題がダイバーたちによって発見されたのだ。バルブはこの問題を解決する画期的な手段だった。

ドクサによると、同社のダイバーズウォッチであるコンキスタドール(1969年)は、ロレックスのシードゥエラーが主に商業的なツールであり続けたのに対し、一般消費者向けに販売されたヘリウムエスケープバルブを搭載する最初の時計であった。ドクサ版のこのバルブが、減圧制限のないベゼルを開発した時計に搭載されたのは皮肉なことだ。このベゼルは、ヘリウム混合ガスが満たされた環境に1週間“浸かった”のち、商業用ダイバーズウォッチの風防が弾け飛ぶ原因となっていた減圧をレジャーダイバーが回避できるようにするために作られたものだ。商業用のダイバーズウォッチでは、数時間の潜水作業中に60分計のベゼルを使用することはほとんどない。


ヘリウムエスケープバルブを搭載したドクサ。

大げさな宣伝文句やプレスリリース、腕時計のレビューを読むと、ヘリウムエスケープバルブが搭載されていることでより深く潜れるようになるとか、より本格的なダイビングができるようになるといったことが書かれていることが多い。しかし、ダイビングを商業的に行うごく少数の人でもなければ、エスケープバルブを追加することは、ケースにもうひとつ穴を追加すること以外の何ものでもない。それどころか、私が頑丈なスポーツウォッチに魅力を感じる理由である“必要なものはすべて揃っていて、不要なものは何もない”という美学にそもそも反している。

ヘリウムエスケープバルブは、より深い深度まで潜水できる時計を作るためのものではない。このバルブは乾燥した加圧環境で機能するように設計されており、空気中のガスに対応するだけで、潜水中に時計が水没する水中では機能しないのだ。ブランドはダイバーズウォッチにこれを搭載すべきではないとまでは言わないが、その機能や用途、そもそもなぜ搭載したりしなかったりするのか、その理由を現実的に考えてみよう

このパートナーシップは、時計の世界における文化的な進化を示すものなのだろうか。

先週の木曜日、時計メディア、インフルエンサー、セレブリティグループが、オーデマ ピゲとトラヴィス・スコット(Travis Scott)とともに1日を過ごした。同僚のプレス関係者と私は、店舗占拠、製品発表会、そしてシークレット・ショーに出席した。しかし、私は個人的な倫理的危機の真っ只中にいることに気づいた。私はこのコラボウォッチレビューを実際の製品で行い、文脈についてのコメントを丁重に断るつもりだったのだろうか? それとも、今回のような立ち上げに際して必ず出てくる難問に、HODINKEEが身を乗り出す必要があるのだろうか? なぜトラヴィス・スコットなのか? なぜヒップホップと手を組んだのか? これを誰が気にするのか?

まず私が“アンチ・エスタブリッシュメント”(従来の習慣を支持する人・モノを反対すること)疲れを抱えていることを先に述べなければならない。私はこの限定版ロイヤル オークを、公平性の問題にするのではなく、独自の技術的・美的なメリットに基づいて分析したいと強く願った。しかし時計業界全体、時計メディアの状況、ときには一緒に仕事をしている人たちのあいだにさえ、このような考え方が蔓延している。変化に適応できない、あるいは何か新しいものが現状に対する侮辱ではないと考えることさえできない愛好家や専門家を見つけるのは難しくない。

その偏見はしばしば覆い隠され、時計の種類から販売方法まで、私たちは何が重要で何が重要でないかについての無意味なレトリック(情報を発信する側が効き手側を説得する手法)に移行することを余儀なくされる。もちろんその言説はブランドの経営幹部の気まぐれである。これでは本物の愛好家は高級品業界の攻撃的なヒエラルキーに翻弄され、その結果コミュニティ間で非常に厳しい意見を生み出すことになるのだ。

だから、オーデマ ピゲがヒューストン生まれの32歳のラッパー、トラヴィス・スコットと、彼のレコードレーベルであるカクタスジャックとコラボすると聞いたとき、当然のことながら、私は腰を上げて注目をした。私がトラヴィス・スコットのファンだからというだけでなく、これは紛れもなくひとつの文化的瞬間だったからだ。アメリカ最大の文化輸出品であるヒップホップが、今やスイスの高級時計業界に“公認”、共同署名され、影響を与えていることが目に見えた日である。2005年のジェイ・Z(Jay-Z)とのコラボレーションを考えれば、オーデマ ピゲのラウンド2と呼ぶ人もいるかもしれない。しかし、その考えは短絡的だ。オーデマ ピゲはジェイ・Zのようなアーティストとトラヴィス・スコットのようなアーティストの違いを見分けるのに十分な知識を持ち合わせている。彼らは25歳近く離れ、異なる音楽を作り、異なるオーディエンスの注目を集めている、別のアーティストなのだ。

歴史的なレンズをとおして見ると、ジェイ・Zのときの限定オフショアは、21世紀の時計デザインのなかで最も重要な時計のひとつであった。確かに、当時ジェイ・Zの10周年を記念したオフショアは、ハリウッドやスポーツと交差する無数のオフショアリミテッドエディションとともに人気のあるリリースだった。ただジェイ・Zの時計は、はるかに重要なものを意味するようになった。それは高級時計製造におけるレガシーブランドと、史上最高のラッパーのひとりとの融合だ。当時、彼自身のキャリアはわずか10年だったがすでにヒップホップ界の重鎮として君臨し、私たちの世代で最も重要な文化的人物のひとりとなる道を歩んでいた。

この時計のリリースは、ヒップホップとラグジュアリーの“公式な合併”であり、オーデマ ピゲの現CEOであるフランソワ-アンリ・ベナミアス(François-Henry Bennahmias)氏はこの偉業を誇りに思っている。「ビフォーとアフターがありました」とベナミアス氏は言う。「オーデマ ピゲの世界や時計製造の世界だけでなく、ラグジュアリーの世界にも」。ジェイ・Zとブランドのコラボレーションは、ベナミアス氏によるオーデマ ピゲの全体的な先進的姿勢を象徴するものとなり、ラグジュアリーブランドが最終的にどのような方向に向かうのか、鋭く予言していた。

ジェイ・Z、ファレル(Pharrell)、タイラー・ザ・クリエイター(Tyler the Creator)ら(彼らは皆、何らかの理由で、ヒップホップを楽しむ大衆に“受け入れられる/よろこばれる”人物とみなされてきた)以外のメインストリームヒップホップアーティストにも、腕時計をコレクションしている人たちがいることを思い出して欲しい。おそらく、これらのラッパーはあなたの琴線に触れないかもしれないが、彼らは時計に興味のある、多くの個人の願望や嗜好を、ときにはライフスタイルやデザインの角度から定義している。ところで、それは機械の理解と歴史への愛着を持ってこの趣味に取り組むことに劣らない美徳である。この層は、時計に興味のある傍観者だけで構成されているわけではない。今日の脆弱な市場で時計のエコシステムを維持するために、完全に必要なものなのだ。彼らは歌詞にイメージを使ったり、ゲッティに届く前に写真を掲載したりすることでこの趣味を売り込んでいるほか、Instagramに投稿される、腕時計を探すための高度なキュレーションされたフィードに投稿をしている。彼らは、多くの人が必死にしがみつき、私的な聖域として存在しようとしているサブカルチャーの歯車を回し続けている。“本物”の愛好家は、このカテゴリーの消費者を見下している。特にウォッチスポッティングのコメントを見ていると、“ひよっ子は下がってろ”的な状況になっていることが多い。

大局的な意味で、つまり私たち全体を見据えた意味だと、オーデマ ピゲがここで何をしているのか、コンセプトカーのなかにあるブラックパンサーやスパイダーマンのミニチュア彫刻と同じように正確に把握している。トラヴィス・スコットはスーパースターだ。彼はこの世代のラッパーであり、ヒップホップ界で最も若いビジネスリーダーのひとりであり、カーダシアン&ジェンナー家のふたりの子どもの父親であり (セレブの大空で彼を不滅にしている) 、グラミー賞に10回ノミネートされたアーティストであり、マルチプラチナレコードを達成したメガスターである。彼は真の実力者だ。

スコットはポップカルチャーの世界に慣れていないわけではない。彼は2015年に音楽をリリースし始め、カニエ(Kanye)のプロデューサーであるマイク・ディーン(Mike Dean)のような業界トップのおかげで注目されるようになった。ジャンルの好みやラップ音楽への思いに関係なく、作品的にスコットの音楽は文句のつけようがない。ジャーナリストでありニューヨーク・タイムズ紙のポップミュージック評論家、ジョン・カラマニカ(Jon Caramanica)氏は、「(しかし)トラヴィスのセレブリティは音楽的成功を凌駕するかもしれません」と語る。「インターネットが発達したヒップホップ時代には、ストリーミング楽曲で大成功を収めても、自分をフォローしてくれる人たちの輪の外では極端に知られていないことがあります。トラヴィスはある意味、その逆かもしれません」

スコットはナイキ、マクドナルド、ディオールなどのブランドとコラボレーションしてきた。2020年の米郵政公社危機の際には、トラヴィス・スコットの切手がUSPS(アメリカ合衆国郵便公社)を救うと、ザック・ボーマン(Zach Bowman)の冗談めいたツイートが拡散された。私はくすぐったくなったと同時に、同意したい気持ちもあった。トラヴィス・スコットは企業ブランドの囁き手だ。もし彼がマクドナルドにクォーターパウンダーをもっと売らせ、カクタスジャック×ナイキ・ジョーダンのリセールバリューを元の小売価格の400%アップさせ、オーデマ ピゲのパーペチュアル カレンダーのムーンフェイズ表示に実際のカクタスジャックロゴを入れることができれば...彼の勝利だ。

先週のリリースの際にはふたつの製品が登場した。主力商品は、“チョコレート”ブラウンセラミックでリリースされた限定版ロイヤル オーク パーペチュアル カレンダー オープンワークだ。200本の限定で、価格は20万1000ドル(現在すべて予約・売約済み)。文化的な関連性はさておき、時計自体に興味がなければ、心からそれを認める覚悟はある。しかし、私は本当に気に入っている。スコットがこの色を“カクタスジャック”と名付けたように、チョコレートブラウンは、少なくともファッションにおいては本当に誤解されている色のひとつだ。しかし、イッセイ・ミヤケやグッチ在任中のトム・フォード(Tom Ford)が証明しているように、正しく行われた場合はその勇気に対するバロメーターとなる。ミウッチャ・プラダ(Miuccia Prada)は、“醜いもののなかにある美しさ”を信条としており、クールで峻厳なブラックに、豊かで暖かみのあるブラウンをよく組み合わせているが、それはある種素っ気のない“ファッションではない”ものだ。ブラウンは基本的に美的なニュアンスを楽しむ人向けの色だ。プラダ夫人がそうしているのなら、私たちもよろこんで従うべきである。

時計自体は明らかに、多くの人が“ラッパーにぴったりのジュエリー”と認識するよう進化したコンセプトだ。このフレーズの順番にはたじろいでしまうが、今日は当たり前のことを叫ぼう。この時計には宝石がひとつもついていない代わりに、私たちが目にするのはオーデマ ピゲとカクタスジャックの真のハイブリッドである。トラヴィス・スコットの手描きスケッチに基づき、特別にデザインされたカレンダーと週表示のタイポグラフィ、曜日のインダイヤルの針がブランドのロゴの形をしているなど、カクタスジャックのグラフィックを参照したデザイン要素が多数盛り込まれている。なかでも最も目につくのは、6時位置にあるムーンフェイズデザインである。通常の地球の衛星表現は、カクタスジャックの象徴である口を縫ったスマイリーフェイスに取って代わられたほか、ブルーとグリーンのコントラストが美しくもかなりイカした夜光を備える。クラブにふさわしい時計だ。

それからストラップがあるが、これは天才的だと思う。この時計をブレスレットにつけていたら、まったく別のものになっていただろうから。ブラックセラミック、フルブレスレットのロイヤル オーク オープンワークも好きだが、このデニムストラップは素朴で意外性があり、セラミックの素材感を引き立てている。ミウッチャ・プラダがブラウンブラウスにブラックショートパンツを合わせたように、意外性があり、脱構築的で洗練されていない感じを与える。そうすることで物事が少しカジュアルになり、ニュアンスが変わるのだ。それはマルタン・マルジェラのデコンストラクションのような、あるいはあえて言えば、カニエの簡素化されたイージー(カニエが手掛けたブランド)の美学をほうふつとさせる。とても現代的だ。チョコレートブラウンのフルセラミックモデルが出てきても、私は決して怒らないだろうし、それは(共同ブランドではなく)今後出てくるかもしれないとも想像している。しかし、ストラップがあることで、従来のオーデマ ピゲ セラミック ロイヤル オークの要素の一部ではなく、カクタスジャックのようになる。

この時計はオフショア(回帰)でも、CODE(強引に押し出す)でもない。そう、これは今業界で話題を集める素材、セラミックでできているが、モデル自体は本質的な“トレンディ”ではない。ブレスレット一体型ではなく、ストラップ付きのロイヤル オークなのだ。また高級時計製造において歴史的に権威のあるモデルだ。Cal.5134の進化版であるCal.5135は、オーデマ ピゲのパーペチュアルカレンダーを大幅にオープンワーク化したものである。最初にリリースされたブラックセラミックは、審美的効果を最大限に高めるための近代的な改良として、意図していたものだった。カクタスジャックリミテッドエディションはカッコいいし、オーデマ ピゲが最も得意とする複雑時計製造の証でもある。「パーペチュアルカレンダーは、私たちのDNAの一部です」と、オーデマ ピゲのコンプリケーション部門長であるアンヌ-ガエル・キネ(Anne-Gaëlle Quinet)氏は言う。「私はこれがアンティークコンプリケーションであるという事実が大好きです。パーペチュアルカレンダーは400年前から存在しています。古いものと新しいもの、ふたつの世界が融合した完璧な組み合わせなのです」。伝統的なコンセプトを正しくリミックスしている。

そしてもちろん付属品もある。“トラヴィス・スコットのウェブサイトのみで販売される服やアクセサリーの限定コレクションの一部収益はスコットが選んだチャリティ・プロジェクトや大義に寄付される”。このチャリティが何なのかが分かれば素晴らしいが、ここでの取り組みをいったん理解しよう。

この商品は新しいオーディエンスを開拓し、すでに歌詞からオーデマ ピゲのことを知っているが、どうやって参加すればいいのかわからないという普段と異なる消費者にもアプローチしようとしている。この時計は明らかに手軽なものではないし、金銭的にも到達は困難だろう。それは言うまでもない。この時点で、私たちはウェイティングリスト/アウトプライスゲームに慣れている。

「そこに“お金がある”かどうかはわかりません。ただ、トラヴィス・スコット、カクタスジャック、オーデマ ピゲと書かれたシャツを着て歩くなんて、10年、20年前に横行していた非公式のような夢物語です」と説明するカラマニカ氏。「どのような種類のコラボレーションであれ、そこには“潜在的消費者”の層が存在します。時計を買って、シャツを買って、コアなものを買う。そうすれば参加したことはないけれど、仲間にこのことを知らせたいという人が出てくるでしょう。小さな独占権を手に入れ、それを身につけ、周囲に自慢する方法として製品を利用するのです」。商品は補助的なものだ。時計を買う余裕がないので、次善の策としてこれを買う。カクタスジャックのブランディングはさておき、これはeBayでロレックスのベースボールキャップやポロシャツを買う人たちと変わりはない。ブランドと文化の一致なのだ。

ショパールからL.U.C ストライク ワンが登場

18Kゴールド製の25本限定記念モデルに夢中になっている。

ここ数年、ショパールはアルパイン イーグルをとおして、製品の構成を効果的に変化させてきた。この独立系ブランドは、古くからある名品を現代の消費者のために再形成したのである。L.U.Cラインにおけるムーブメント製造の観点から見ると、ショパールの異常なまでの仕事ぶりを見逃してしまうほどアルパイン イーグルは短期間で大きく成長した(その一部はアルパイン イーグルにも反映されている。こちらを参照)。アルパイン イーグルのファンである私は、全体的に薄いドレスウォッチのデザインから、オフィサーケースバックや文字盤の質感など、L.U.Cの製品にいつも驚かされる。これらの時計は、最高の時計と肩を並べるにふさわしい。

ショパール L.U.C ストライク ワン
そして今年、ショパールはドバイウォッチウィークにて、L.U.Cコレクションから18Kホワイトゴールド製のL.U.C ストライク ワンを発表した。この25本限定モデルは、ショパールが特許を取得したモノブロックサファイアの上で、毎正時チャイムを鳴らす時計である。40mmのケースには、ショパールのエシカルな18KWG素材を採用。リューズ一体型のプッシャーを備え、厚さはなんと9.86mmという驚異的な数字を実現した。

内部には2万8800振動/時で時を刻むL.U.C 96.32-Lを搭載し、パワーリザーブは約65時間を確保。ストライク ワンはクロノメーター認定を受けているほか、ジュネーブ・シールも取得している。そしてこのムーブメントを覆っているのは、ハニカムモチーフのハンドギヨシェを施した、美しいグレーグリーンダイヤルだ(それ自体もゴールド素材である)。また文字盤の1時位置は、ポリッシュ仕上げのハンマーが見えるようカッティングされている。チャイムを鳴らすのはまさにこのハンマーだ。サファイアクリスタルには、レイルウェイ風のミニッツトラックも刻まれ、そのすぐ下にはモノブロックのサファイアゴングもある。

Cal.L.U.C 96.32-L
分針が12時位置まで達するとチャイムが鳴るため、1日に24回、時を知らせることになる。ムーブメント自体にはツインバレルが搭載され、チャイムモードがアクティブになったときに、約65時間のパワーリザーブが実現する。

ショパール L.U.C ストライク ワンの販売価格は975万7000円(税込)だ。

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我々の考え
私がショパールと、特にこの時計について最も評価しているのは、全体の美しさからメカニズムに至るまで、真に完璧に考え抜かれている点である。2022年に初めて開発されたこのムーブメントの、リューズ一体型のプッシャーおよび着用者がリューズを介してチャイム機能を作動または解除したりできる機能は、間違いなく革新的なのだ。

ショパール L.U.C ストライク ワン
しかし、複雑ゆえにこの時計に興味を持たない人もいるかもしれない(価格を考えればそうなるはずだが)。ただ、落ち着いたトーンのグレーグリーンというギヨシェダイヤルは、まさにこのような時計にふさわしい、控えめな印象を与える。価格といえば、私はてっきり6万6600ドルよりもっと高いものだと思っていた。だからと言って“バリュープロポジション”という言葉を投げかけるつもりはないが、それにしても驚くべき値段だった。

またブランドは、チャイム機構の音響が一流であることを保証するために、かなりの努力をしていることも理解している。今すぐチームと一緒に、ドバイまで赴いてその音を生で聞けたらいいのに。もし現地からこの映像が撮れたら、ぜひシェアしたいと思う。

ショパール L.U.C ストライク ワンに搭載されたCal.L.U.C 96.32-L
今回のリリースで私が言えることは、次の四半世紀でL.U.Cがどのように進化するか楽しみだということだ。

基本情報
ブランド: ショパール(Chopard)
モデル名: L.U.C ストライク ワン(L.U.C Strike One)

直径: 40mm
厚さ: 9.86mm
ケース素材: 18Kエシカルホワイトゴールド
文字盤: グレーグリーン、ハンドギヨシェ
インデックス: アプライド
ストラップ/ブレスレット: アリゲーターストラップ

Cal.L.U.C 96.32-L
ムーブメント情報
キャリバー: L.U.C 96.32-L
機能: 時・分・スモールセコンド、アワーストライク
直径: 33mm
厚さ: 5.6mm
パワーリザーブ: 約65時間
巻き上げ方式: 自動巻き
振動数: 2万8800振動/時
石数: 33
クロノメーター: あり

価格 & 発売時期
価格: 975万7000円(税込)
限定: あり、世界限定25本

3年の開発期間を経て、リシャール・ミルは新しいRM 35-03を発表した。

RM 35-03は、特別な巻き上げ機構を備えた超スポーティな自動巻きモデルで、着用者の現在の活動レベルに応じて巻き上げ量を調整できるようになっている。すべての機能は、クルマをテーマにした“スポーツモード”ボタンと連動。必要に応じてローターを停止し、ムーブメントの巻きすぎを防止することができるのだ。

RM 350-03 Nadal
 ボタンやモードについては後ほど説明するが、RM 35-03はカーボンTPT(ケースとケースストラップは黒。多くの画像に写っているだろう)、ブルーとホワイトのクォーツTPT、そしてカーボンTPTにホワイトのクォーツTPTを加えたバージョンの全3種類で展開する。サイズは3モデルとも同じで、直径43.15mm、厚さ13.15mm、ラグからラグまでが49.95mmだ。防水性は50mで、価格は時計よりもはるかに重い。

 ブランドが“ベイビー・ナダル”と呼んでいる同モデル最大の特徴は、ケース側面の7時位置にある、前述したスポーツモードボタンだ。これに搭載された特別な“バタフライローター”システムは、本当は複雑な説明があるが、そのコンセプトは同ボタンを押すことによって巻き上げローターの重力を利用する能力を緩和できるというものである。この半分ずつにわかれたふたつあるローターを、中央のヒンジで固定されるように設計。このスポーツモードを使用するとその2パーツが扇状に広がり、エレメントが180°にわたって均等に分散されるため、ローターが回転する機能がなくなるというのだ。おわかりいただけただろうか。下のアニメーションでメカニズムを確認して欲しい。ほらね? 理解するのはそれほど難しくない(少なくとも機能レベルでは)。

rm 35-03 in action
 ここでのアイデアは、スポーツモードを有効にしてプロテニスのようなスポーティなことをしようとするとき、ムーブメントの追加巻上げを一時停止できるということだ。ダイヤルを見ると自動巻きが有効かどうか、オン/オフの表示があり、このシステムはほかのRMモデルで見られるファンクションセレクターと同じもので、ユーザーが3つのモード(時間設定の“H”、ニュートラルの“N”、ワインディングの“W”)を切り替えられるようになっている。

rm 35-03 nadal
 この機能は時・分・秒を表示するフルスケルトナイズの自動巻きムーブメント、Cal.RMAL2によって支えられている(前述した機能も搭載)。ムーブメントのブリッジと地板はグレード5チタン製で、2万8800振動/時で時を刻み、パワーリザーブは約55時間を提供。このパワーリザーブを支えているのがツインバレルシステムであり、どちらの香箱からでもトルクを計測できるためより正確な計時が可能となっている。

RM 350-03 Nadal
rm 35-03
rm 35-03
 すでに記載したとおり、ラファエル・ナダルとのつながりを持つ複雑なリシャール・ミル RM 35-03は、23万8000ドル(日本円で約3400万円)で販売される。

我々の考え
リシャール・ミルの腕時計は、常にさまざなシェイプとサイズで提供されているが、RM 35-03はブランドの中核をなす製品のように感じる。デザインの力強さ、ワイルドなケース素材、ギミックのようなスポーツモードへのこだわり、これらすべてがリシャール・ミルの伝統なのだ。

 “ベイビー・ナダル”シリーズ第4弾となるRM 35-03は、バタフライローターシステムを搭載し、遊び心あふれる機能を追加した。このようなシステムの必要性を主張することはできるだろうが、僕はこのような時計にはそぐわないかもしれないと思っている。ただ文字どおりの意味でも感情的な意味でも、エンゲージメントのために時計の自動巻きを止める機能というアイデアはちょっと気に入っている。最近の高性能車では、プログラム可能なモード(スポーツモードのような)が主要な機能としてセットされているので、25万ドルするリシャール・ミルを買おうとしている人たちのライフスタイルや経験ともつながりがある。彼らのクルマには、それを体験できるさまざまな要素をコントロールできるボタンがたくさんあるのだ。では時計になるとそれはないのか?

RM 350-03 Nadal
 しかし、リシャール・ミルの時計は文字どおり“モノ”として扱う必要はない。スーパーカーのように、これらの腕時計は実用性や機能性で評価されているわけではない。むしろ、これらは感情、コレクター性、生の魅力としての対象であり、スポーツモードがこれほど適切だと感じる時計はない。もし可能なら、コメントで教えて欲しい。

基本情報
ブランド: リシャール・ミル(Richard Mille)
モデル名: RM 35-03 オートマティック ラファエル・ナダル(RM 35-05 Automatic Rafael Nadal)
型番: RM 35-03

直径: 43.15mm
厚さ: 13.15mm
ラグからラグまで: 49.95mm
ケース素材: カーボンTPTまたはクォーツTPT
防水性能: 50m

RM 350-03 Nadal
ムーブメント情報
キャリバー: RMAL2
機能: 時・分・センターセコンド、スポーツモード、ファンクションセレクター
直径: 31.25mm×29.45mm
厚さ: 5.92mm
パワーリザーブ: 約55時間
巻き上げ方式: 自動巻き
振動数: 2万8800振動/時
石数: 38
追加情報: 特許取得済みのバタフライローター

価格 & 発売時期
価格: 23万8000ドル(日本円で約3400万円)

宇宙飛行士であり米国上院議員のジョン・グレン(John Glenn)が所有していた2本の腕時計が出品される。

ブライトリングのコスモノート Ref.809 “スコット・カーペンター”モデルと、ジャガー・ルクルトをカスタムオーダーしたRef.3027 “ラッキー13”ウォッチである。どちらの時計も、2018年3月にグレンの個人資産の遺品整理セールで購入されたものだ。HODINKEEの寄稿者であるジェフ・スタイン(Jeff Stein)氏は同オークションで3本の時計を購入した。この記事では、売却の背景、ジョン・グレンの時計をどのように追跡したか、またその追跡がどのようにしてNASAの7人の初代マーキュリー宇宙飛行士に支給されたか、これまで知られていなかった時計の発見にどのようにつながったのか、販売の裏話を語っている。


フィリップスの“Game Changers”オークション、ロット14である、ブライトリングのコスモノート Ref.809。


同オークションのロット13は、珍しいルクルト ラッキー13 ウォッチ。同じくジョン・グレンの遺品である。

 アメリカ東部時間帯に住む時計コレクターにとって、朝は1日のなかで最もエキサイティングな時間である。私のスマホ画面が5時30分か6時に目を覚ます頃には、ヨーロッパとアジアの“時計仲間”がチャットをしている。ウェブサイトの多くで新しい時計が売りに出されるし、時計の世界ではいくつかのニュース速報が届く。最高の日には、UPSまたはFedExから荷物が日中に配達されるというアップデートもある。チャットは1日中続くが、議題は通常、最初の数時間で形成される。

 2018年3月8日(木)の深夜、私は友人から簡潔なメッセージを受け取った。“これは一体何なんだ?”。彼はInstagramの“Watchknut”というアカウント のスクリーンショットを添付し、ブライトリングのコスモノートのクロノグラフがジョン・グレンの遺品整理(エステート)セールで売却されたことに言及した。彼のInstagramの友人のなかに、この時計を買った人がいるかどうかを尋ねた。Instagramに投稿された画像には4本の腕時計が写っており、黒くて大きなコスモノートはほかの3つを圧倒していた。その投稿のコメントは答えよりも質問のほうが多かった。なぜジョン・グレンの遺品整理セールのことを誰も知らなかったのか? オークションはどこでやっていたのか? オンラインまたは電話入札で時計を購入できるか? そのすべての答えは“まったく知らなかった”。

 私がすぐに感じたのは、珍しいものや古いもの、たぐいまれな宝石がほとんどの場合、2度と見ることができないまま消えていくのを目の当たりにしてトラウマに苦しむ人たち特有の、胸が張り裂けるような痛みだった。私は1962年からジョン・グレン大佐のファンであり、2006年以来、彼の時計に興味を持っている。スコット・カーペンター(Scott Carpenter)が宇宙で着用したこのスペシャルなブライトリング・コスモノートは、数年前から私の“最も欲しいもの”リストのトップにいた。


ジョン・グレンのブライトリング コスモノート Ref.809。

 ジョン・グレンの3本もの腕時計が、私の耳に入ることなく遺品整理セールに提供されるはずがない。通常のディスカッションフォーラムやソーシャルメディアをチェックすると、その遺品整理セールは時計収集コミュニティ全体のレーダーの下にあったようだった。最も厄介なのは、地元のセール業者である“ピッカー”たちが、その時計を持ってグレン・ハウスから出て行く姿を思い浮かべたことだった。

クリスティーズもサザビーズもない。オンラインカタログもない。ただ地元のエステートセール会社が、まるで彼が普通の人であるかのようにジョン・グレンの遺品を売却したのだ

 私の怒りはすぐに調査へと変わった。Googleで検索したところ、 グレーター・ワシントン・エステート・セール・サービス(Greater Washington Estate Sale Services)という会社が、3月8日(木)から3月11日(日)まで、ジョン・グレンの遺品を売却していることを確認した。そこはアトランタにある私のオフィスから、641マイル離れたメリーランド州ポトマックにあるグレン旧邸宅で開催されていた。


メリーランド州ポトマックにある、彼のかつての自宅で所持品のエステートセールが展示された。Photographs courtesy of Greater Washington Estate Services.

 クリスティーズもサザビーズもない。オンラインカタログもなく、検索も閲覧もできなかった。ニューヨーク・タイムズ誌にプレスリリースや全面広告も掲載されていない。ただ地元ワシントンD.C.のエステートセール会社が、ジョン・グレンが以前住んでいた家にあった遺品を、まるで彼が普通の人であるかのように売却したのだ。


グレーター・ワシントン・エステート・サービスのウェブサイトに掲載された、ジョン・グレンコレクションの時計の写真。Photograph courtesy of Greater Washington Estate Services.

 EstateSales.netのページには263枚の小さな写真が掲載されていて、それを見ると何千もの遺品が販売されていることがわかる。グレンが海兵隊にいたときに着ていた革のフライトジャケットと、宇宙服を着た“ボンゴ”という名前の2体のビーニー・ベイビー人形もあった。またクリスタルからコロン、庭の道具、カフスボタンまで、セール品は日用アイテムでいっぱいだった。グレンが宇宙飛行士として、また米国上院議員として受け取った何百もの贈り物も見受けられた。そしてそのなかに、8本の腕時計が載ったトレイがあった。

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ミッキーかウィリーか
 グレンの私物の写真をめくっていると、1960年にタイムスリップした。当時の子どもたちは、スポーツチームやアスリート、ミュージシャンを応援するのと同じように、マーキュリーの宇宙飛行士を応援していた。ミッキー・マントル(Mickey Mantle)かウィリー・メイズ(Willie Mays)、ドジャースかジャイアンツ、フォードかシボレーのそれぞれのペアから、子どもはひとつ(そしてひとりだけ)を応援することができたのだ。そこにジョン、ポール、ジョージ、リンゴも加わり、友人らも自分のお気に入りを宣言していた。


マーキュリーセブンの宇宙飛行士。左から カーペンター、クーパー(Cooper)、グレン、グリソム(Grissom)、シラー(Schirra)、シェパード(Shepard)、スレイトン(Slayton)。

 マーキュリーセブンの宇宙飛行士もそうだ。彼らの名前であるふたつのC(カーペンターとクーパー)、ふたつのG(グレンとグリソム)、そして3つのS(シラーとシェパードとスレイトン)は今でも私の心に刻まれている。海軍、空軍、海兵隊など、自身が所属していた兵科に基づいてお気に入りを選ぶ友人もいた。メディアは彼らの笑顔、ウィットさ、そしてもちろん妻たちの姿を見せてくれた。


ジョン・グレンは第2次世界大戦と朝鮮戦争で、6つの殊勲十字章を受章した。

 ジョン・グレン大佐は、マーキュリーセブンのなかで最も好きな人物だった。彼は7人のなかで唯一の海兵隊員である。第2次世界大戦と朝鮮戦争で飛行し、6回の殊勲飛行十字章を受章している。1957年、彼は平均超音速で初の大陸横断飛行を達成した。1962年2月にアメリカ人として初めて地球周回軌道に乗ったことで、祖国にとって非常に重要な英雄となったため、彼が遭難するのを恐れてジェミニやアポロでの2度目の飛行は許されなかった。

 私はマーキュリーの宇宙飛行士のことを思い出したが、すぐに目の前の仕事に戻った。残っている7本の時計の写真を見ながら、自分が欲しいと思う時計があるかどうか、これらの時計のひとつを購入することができるかどうかを考えた。

 7本の時計を特定するのは簡単なことだった。1940年代か1950年代のハミルトンで、“時刻表示のみ”のミリタリースタイルウォッチが2本。ルクルトの時計が2本で、ひとつは24時間表示の文字盤、もうひとつは各時刻に“13”と記された文字盤。1960年代半ば製のブローバ 2レジスター クロノグラフ。そしてプラスチック製のセイコー パルスメータークロノグラフに、金メッキのエルメス ワールドタイム懐中時計だ(このセールには、ペンダントウォッチやアニメのキャラクターウォッチなど、いくつかの地金製時計も含まれていた)。想像上“何を選ぶか”について、そう時間はかからなかった。

インド洋の難破船で発見された、“DIVEX”のダイバーズウォッチ

「キャプテンの時計だよ」。私が小さなパンガボートに乗り込んで重いダイビングセットを脱いだとき、フェリシアン・フェルナンド(Felician Fernando)がこう言った。彼は広げた手を差し出し、そこには塩にまみれた腕時計が乗っていた。1時間ほど潜った後の出来事だ。私は熱帯の明るい太陽の下で目を細めながら、それを調べようと身を乗り出した。もちろん、これはフェルナンドの冗談だった。私たちは、1942年にスリランカ東海岸沖5マイルで日本軍の爆撃によって沈没したイギリス軍艦、ハーミーズ(HMS Hermes)へのダイビングを終えたばかりだった。彼の手に握られていた時計は第2次世界大戦時にイギリス海軍で使用されていたオメガではなく、現代のクォーツダイビングウォッチだ。見ての状態にもかかわらずまだ忠実に時を刻んでいた。日付も正確だった。


かつてこの場所に浮かんでいたハーミーズは、世界初の航空機専用空母であった。

 波の下に沈んだ宝物を見つけるのはダイバーの夢であり、こと時計愛好家たちは、それが誤って海に落とした古いロレックスという形で現れるかもしれないという希望を常に持っている。フェルナンドが見つけた時計は特に価値のあるものではなかったが、それでも信じられないような発見であり、私の長年の夢であった世界初の航空機専用空母に潜るという夢にさらなる興奮を与えてくれた。この時計が水深175フィート(約53m)の海中に沈んでも正確に動いていたことが、その頑丈さを証明している。しかし同時に、この時計はどんな種類のもので、いつからそこにあったのか、誰のものなのか、といったいくつかの興味深い疑問も浮かんできた。

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 バティカロア郊外にあるフェルナンドの小さなダイビング拠点、ディープ シー リゾートまでクルマで戻ったあとで、私はその時計をさらにじっくりと観察する機会を得た。分厚い外皮を少し取り除くと、4時位置にあるリューズと、一般的なSKXシリーズのセイコーに見られるような特徴的な針を備えた、極めてセイコー的なダイバーズが現れた。しかしそのロゴには“DIVEX”とあり、商業用潜水帽をかぶったダイバーの小さなイラストが描かれていた。ダイヤルの下部には、“Professional 200m”とある。通気性のあるラバー製ダイビングストラップはケースの12時側のケースに両端がバックルで固定されたまま取り付けられていたが、6時側の取り付け部は明らかに破損していた。ダイバーが手首を自分の道具に引っ掛けたり、探検中の沈船の一部に引っ掛けたりして、バネ棒が故障したのだろう。


ダイバーのフェリシアン・フェルナンドは、水深175フィート(約53m)の海底でDIVEXの腕時計を発見したあと、それをすぐにポケットにしまった。

 DIVEX社は、スコットランドのアバディーンを拠点とする有名な商業用潜水機器メーカーである。そのルーツは1980年代初頭にさかのぼり、北海をはじめとするオフショア石油およびガス産業に従事するダイバーに広く使用される革新的な混合ガスシステムを開発したことに始まる。多くのダイブギアメーカーと同様、DIVEX社もブランドのダイブウォッチを販売しており、沈没船ハーミーズで発見されたのもそのひとつである。どのメーカーがDIVEXのためにこれらの時計を製造しているのかは不明だが、“Professional 200m”の時計は、“Apeks(エイペックス)”、“Aqua Lung(アクアラング)”、“Tauchmeister(トーチマイスター)”といったほかのブランド名で販売されているものと同様である。すべてセイコーのVXクォーツムーブメントを搭載しており、DIVEXにおいては完璧な精度を保っていた。確認できる最新の情報としては、DIVEXはこの時計を83ポンド(約108ドル、当時のレートで約1万2500円)で販売しており、バネ棒はともかく、完璧に機能するダイバーズウォッチがそれほど高くない金額で手に入るという事実を証明している。

 時刻が正しかっただけでなく、日付も正しかった。それが次の謎につながった。この時計はいつから水中にあったのだろう。私がハーミーズで最後に潜ったのは8月28日だった。その前の月は7月で、31日まである月だったが、その前の6月は30日で終わるため、もし時計がその期間に潜水していたとしたら日付は1日ずれていたことになる。つまり、7月のある時期にはそこで行方不明になっていたことになる。実際、私の素人調査は必要なかった。フェリシアン・フェルナンドは、それが誰の時計なのかすでに見当をつけていたのだ。


DIVEXのProfessional 200mは、その1カ月前にスリランカ海軍のダイバーによって紛失されたものだった。

 その約1カ月前の7月25日、英国海軍のダイバーグループがスリランカに滞在し、スリランカ海軍のダイバーたちとともにハーミーズに潜った。それは追悼の意を込めたダイブであり、75年前にこの巨大な船が沈没した際に亡くなった307人の船員に敬意を表して、彼らは沈船に英国海軍の軍旗を貼り付けた。ダイビングの後でスリランカ人ダイバーの下士官のひとりが、フェルナンドに沈船の船尾付近で腕時計をなくしてしまったと話した。私とのダイビングでフェルナンドは、いつものように30ファゾム(約55m)の暗がりを強力な懐中電灯で照らしながら探索した。彼は水深175フィート(約53m)の海底で、ひっくり返ったプロペラの近くに時計を見つけた。彼はそれをポケットにしまって、私たちはこのダイビングを締めくくったのだ。

 バティカロアに戻ったフェルナンドは、旧港町トリンコマリーにあるスリランカ海軍潜水部隊の担当者と連絡を取り、時計を見つけたことを伝えた。私はダイビングを終えてトリンコマリーへ向かうところだったので、そこでフェルナンドの息子に時計を預け、正当な持ち主に引き渡したいと申し出た。彼は塩分を取り除くために淡水に浸すことを提案したが、持ち主が幸運のお守りや記念品としてこのまま持っていたいと思うかもしれないので、そのままにしておこうと伝えた。私ならそうするだろうし…、まあ、私は少しセンチメンタルな人間なのだ。結局、私は妻から40歳の誕生日プレゼントにもらったノンデイトのサブマリーナーをつけてハーミーズに潜った(アドミラルティグレーのNATOストラップでしっかり手首に固定した)。


ロレックス サブマリーナーを着用し、ハーミーズ号にダイビング中の筆者。

 DIVEXに関する最後の謎は、その外観だった。わずか1カ月の水中生活のあいだに、なぜこんなに表面が錆びついてしまったのだろう? 学生時代に化学で挫折しそうになった経験がある私は、海洋考古学者から冶金学に精通した宝石商まで、より知識を持った人々やほかの時計マニアに相談した。意見はさまざまだったが、大多数が電解腐食説を支持した。

 米国ボートオーナー協会のWebサイトに掲載されている海洋腐食に関する記事によると、以下のとおりだ。「ガルバニック腐食とは、2種類以上の異なる金属間の電気化学反応である。反応が起こるためには、ある金属がほかの金属よりも化学的に活性状態でなければならない(あるいは安定していなければならない)ため、金属は異なる種類のものでなければならない」。

 これはDIVEXの時計に付着した塩分の分布と一致しているようで、アルミニウムを挿入したスチール製ベゼルの周囲に集中している。この腐食についての記事によると、ガルバニック腐食はふたつの異なる金属が“接触”し(実際に触れ合うことで 接合され...)、導電性溶液(電気を伝えることができるあらゆる液体)に浸されたときに発生する...、らしい。海水は非常に導電率の高い液体であり、導電率は水温とともに上昇するという。


沈没から75年を経たハーミーズの右舷プロペラ。

 アルミニウムとスティールが非常に温かい(約30度)海水のなかで触れ合うことはガルバニック腐食の条件を見たしており、これは車のバッテリーの端子部分に見られるような腐食に似ている。この塩分の蓄積は、海水に長時間さらされた後で十分にすすいでいないダイバーズウォッチのベゼルを硬化させる傾向がある。このDIVEXウォッチのコンディションはその極端な例であり、スプリングバーの故障だけでなく、ダイビングウォッチを深く潜った後に水洗いをすることの重要性についても教訓を与えてくれるものだ。


この時計のガルバニック腐食は、腐食が時計の広範囲に及ぶ可能性を示している。

 スリランカの古い呼び名はセレンディブで、そこから“幸せな偶然”を意味する“セレンディピティ”という言葉が生まれた。私は長年にわたって、ダイビング中にレビューした時計について多くの記事を書いてきた。しかし、今回のハーミーズの冒険では、自分自身の楽しみのためにダイビングをし、自分の時計を身につけながらバケットリストの項目を達成しようと決めていた。だから、ダイビングによって時計のストーリーを作るのではなく、時計のストーリーのほうから私の前に現れたというのは、セレンディピティというにふさわしい出来事だった。沈没した財宝は、金の宝箱やロレックスである必要はなく、単に長く記憶に残るいい物語である場合もある。今回の出来事は、結局はそういうもののほうがより貴重なのだ、ということの証左でもあった。

 私は常々、腕時計の最大の価値はそれを身につけていたときの冒険の思い出にあると語ってきた。だから、スリランカ東海岸の海軍の前哨基地のどこかに、ちょっと古ぼけたダイブウォッチを見下ろしてハーミーズに潜った日のことを思い出しているダイバーがいたらいいなと思っている。そしてそのことを、私は知っている。

グレーグラデーションダイヤルの新作にも踏襲されている。

オリエントスターはM45 F7 メカニカルムーンフェイズにおいて、印象的なグレーグラデーションをダイヤルにあしらったRK-AY0122N(オリエント公式オンラインストア限定)、RK-AY0123N(プレステージショップ限定、コードバンの替えバンド付き)を2024年6月27日(木)に投入することを発表した。M45は2023年にオリエントスターで新設された“Mコレクションズ”のなかのいちコレクションで、ブランドが長年継承してきた伸びやかなラグやリーフ針を備えたクラシックな顔立ちを特徴としている。なお、M45はおうし座の散開星団すばる(プレアデス)の別名でもあり、2023年4月には神秘的な星団すばるの姿をブルーグラデーションダイヤルで表現したモデルで話題を呼んだ。同作は12時位置のパワーリザーブ、6時位置のデイト表示付きムーンフェイズなど従来のM45 F7 メカニカルムーンフェイズの特徴は押さえながら、手の込んだグラデーションダイヤルを生かすように、9時位置のオープンハートやミニッツトラックまで排除された非常にフラットな顔立ちに仕上げられていた。そしてそのデザインは、今回のグレーグラデーションダイヤルの新作にも踏襲されている。


 新作RK-AY0122NとRK-AY0123Nはともに、2023年のブルーグラデーションモデルと同じく星団すばるをテーマとしている。だが、今回モチーフとしたのは月とすばるが重なる掩蔽(えんぺい)という現象だという。掩蔽は月やすばるに限らず天体が別の天体を覆う現象を指す(特に月によるものを星食という)もので、南の空にひときわ明るく青く輝く星団すばるが月によって少しずつ隠れて暗くなっていく様子はさぞ見応えがあるだろう。ブルーグラデーションモデルがダイヤル全体で“光”を強調していたのに対して、今作は対象的に“影”を表現しているのだ。それを示すかのように、3時位置のブランドロゴ、ムーンフェイズの月はモノトーンであしらわれている。プリントで施されたインデックスもブラックで統一されていて、写真のうえではダイヤルに馴染んでいるように見える。

 なお、星団すばるのきらめきを表現するべく、今回のグレーグラデーションモデルにもブルーモデルのときと同様に高度な技術が用いられた。まずは、無数に散らばる星々を型打ち模様によってダイヤル表面に刻印。そのうえで、独自に調合された塗料を、専用の機器で色の濃さを調整しながらグラデーションになるように塗布している。さらに、その塗装面に分厚く透明な層を作り出すラッピング塗装を施すことで、吸い込まれるような宇宙の広がりと星の輝きをダイヤル上に表現している。

 

 ケースは既存のムーンフェイズモデルと変わらず直径41mm、厚さ13.8mmで、全体にブラックメッキが施されている。ムーブメントは50時間以上のパワーリザーブを備えた自社製のCal.F7M65で、スケルトンバックからその姿を確認することが可能だ。RK-AY0122N、RK-AY0123Nともに時計本体そのものは同じだが、プレステージショップ限定となるRK-AY0123Nにはコードバン製の替えバンドが付属。価格は前者が33万円(税込)の60本限定で、後者が34万1000円(税込)の140本限定となっている。わずか1万円ほどの差額で使い勝手のいい20mm幅のコードバン製替えバンドが付いてくるというのは、個人的にかなりお得だと思ってしまうがいかがだろう?

ファースト・インプレッション
実際に光の下で手に取ってみると分かるが、写真で見る以上に判読性はしっかり確保されている。針、インデックス、ダイヤルをワントーンで揃えた時計では、時刻を読み取るのにしばしば苦労することがある。だが、新作M45 F7 メカニカルムーンフェイズでは、セイコーエプソンならではの高いプリント技術と細部の仕上げによってこの問題をクリアしているのだ。


 ブラックのローマンインデックスは、複数回に分けて行われる重ね印刷によって施されている。文字の細い箇所はプリントで潰れないように隙間を空けるなどの細かい調整が重ねられ、グレーのダイヤルから浮かび上がるような陰影を持つ立体的なインデックスが生み出された。ダイヤルのふちにあしらわれた、輝く星を思わせるシルバーのドットも視認性の向上にひと役買っている。そして、そのインデックスを指し示す針にもひと手間加えられている。グレーのメッキが施されたリーフ針は左右で鏡面と筋目に磨き分けられ、光を受けることでその存在をひときわ強く主張する。今回の新作では星団すばるの“影”が表現されたようだと上で述べたが、細部のあしらいによって逆に光を感じられるデザインに仕上がっているようにも思えた。こと判読性においては、2023年のブルーグラデーションモデルよりも優れているように見える。


 もちろん、この時計における主役は、複雑な製造工程によって仕上げられたグレーグラデーションダイヤルである。ブラックメッキのケースも夜空を思わせ、ダイヤル上に緻密な型打ちで表された星々は手首のうえで美しく輝く。だが、そんなコンセプチュアルなデザインのなかに時計としての機能美も同居させるバランス感、技術力は素直に素晴らしいと思う。同タイミングでリリースされたM34 F8 デイトに見られるように、セイコーエプソンとしてのダイヤル表現の幅は拡大の一途を辿っている。もしかしたらまた来年になるかもしれないが、今度は星団すばるをテーマにどのような顔に仕上げてくるのだろう。個人的には秋の田沢湖をテーマとしたM45 F7のような色合いで、夕景に浮かび上がってくる星団すばるなんていうのもロマンチックでいいと思うのだが……、その答え合わせができる日を楽しみにしておこうと思う。

基本情報
ブランド: オリエントスター(Orient Star)
モデル名: M45 F7 メカニカルムーンフェイズ(F45 F7 Mechanical Moon Phase)
型番: RK-AY0122N、RK-AY0123N(コードバン製替えベルト付き)

直径: 41mm
ラグからラグまで: 49mm
厚さ: 13.8mm
ケース素材: ステンレススティール(SUS316L)、黒色メッキ
文字盤色: グレーグラデーション
インデックス: プリント、ローマンインデックス
夜光: なし
防水性能: 5気圧
ストラップ/ブレスレット: プッシュ三つ折式クラスプ付きワニ革ストラップ、RK-AY0123Nはコードバン製替えバンドも付属

ムーブメント情報
キャリバー: F7M65
機能: 時・分・秒表示、12時位置にパワーリザーブインジケーター、デイト表示とムーンフェイズ
パワーリザーブ: 50時間以上
巻き上げ方式: 自動巻き(手巻き付き)
振動数: 2万1600振動/時
石数: 22
追加情報: 秒針停止機能付き

価格 & 発売時期
価格: 税込33万円(RK-AY0122N)、税込34万1000円(RK-AY0123N)

時計の価格と価値、そして900万ドルの切手にまつわる不可思議な話

ポール・ニューマンが所有し、娘のボーイフレンドに贈ったポール・ニューマン デイトナは過剰な評価をされていると言われているが、その非難が本質的に正しいことは否定できない。実際、PNPND(簡潔にするために、ポール・ニューマンのポール・ニューマン デイトナを省略してこう呼ぶことにする)が大げさに持ち上げらてれいる状況自体が、この時計をこの時計あらしめているのだと言える。その過大評価を度外視すると、少し特徴的な外観に当時の製造技術を踏まえた良質な作り、そしてどこにでもあるような信頼性の高いクロノグラフムーブメントを備え、それが計時技術の進化を象徴しているという点で(時計史的に)興味深い、ミッドセンチュリーに大量生産された風変わりな趣向のスポーツウォッチというだけのものになってしまう。つまり過剰な評価という後ろ盾がなければ、この時計はあらゆる点で当時におけるその他多くの(実際何十万とある)時計とさほど変わらないのだ。もちろん、それらの時計はオークションで1700万ドル(当時の相場で約20億円)はおろか、17万ドルでさえ落札されることはない。

Paul Newman Daytona
 ヴィンテージウォッチ収集の趣味に真剣に取り組んでいる人ならおそらく誰でも知っているように、PNPNDとはまるで嵐のような存在だった。PNPNDはロレックスの特定のモデルを対象とした説明し難い熱狂の先駆けであり、その元祖ともいえる存在だった。しかし、この時計は米国芸能界の重鎮にゆかりのある時計でもあり(ポール・ニューマンはハリウッドによくいるタイプの美少年ではなかったが、役として求められればそのように演じることもできた)、そしてそれ自体がアメリカ文化を象徴するピースの一部にもなっている。もしあなたが腕時計に始まり、ハリウッドにまつわる名品、ポール・ニューマンの思い出の品まで幅広いジャンルをカバーするコレクターであったなら、 おそらくこの時計にも少なからず興味を持つことだろうと思う。

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 エキゾチックダイヤルデイトナのデザインそのものが、この時計が高値で取引されていることに少しでも関係しているか否かという質問の答えは、誰に尋ねるかによって変わるだろう。私はそのデザイン自体に、奇抜さ以上のものを見出せないでいる。しかし、私が敬意を抱いている人たち(そのなかには、時計デザインの価値を決定づけるベンチマークとして、またほかの時計コレクターの手本として、大いに評価されている人物もいる)は、真顔でこの時計を“史上もっとも美しい時計のひとつ”と評し、またそのように書いてもいる(もしジョージ・ダニエルズのスペース・トラベラーが文字を読むことができたなら、白目をむいて鏡の前に駆け寄り、白雪姫に出てくる女王のように本当に一番美しいのは誰なのかを尋ねることだろう)。

 PNPNDに限らず、このところ時計オークションで記録的な価格が次々と発表されていることが話題になっているが、その議論の中心にはふたつの問いかけがある。ひとつは“本当にその価値はあるのか?”、そしてもうひとつは “時計収集においてあまりよくないことなのでは?”ということである。

Rolex Reference 6200
ロレックス サブマリーナー Ref.6200

 まずは後者の疑問から見てみよう。まったく魅力を感じないと誰もが思っていた時計が眉をひそめるような高額で売れるたときによく聞くのが(言い方はさまざまだが、基本的な内容は同じだ)、「時計収集の楽しみを台無しにしやがって!」という主張である。最近だと今月(2017年11月)初めに取り上げた“納屋で見つけた”スピードマスターがそれに当てはまるが、そのほかにもいくつもの例がある。PNPNDが記録を打ち立てたのと同じフィリップスのオークションで、ロレックス サブマリーナー Ref.6200(初年度サブ)が57万9000ドル(当時のレートで約6540万円)で落札されたことには、まだほとんどの人が気づいていないようだ。もし、そもそもあなたがこのような取引を馬鹿げていると思っているとしても、これがPNPNDに1700万ドルを支払うのと同じくらい非常識な話だとは私は思えない。

 さて、これらの出来事は時計コレクターたちに悪影響を与えるものなのだろうか? まあ、事実そうなのかもしれない。ロレックスやパテック フィリップのような一流メーカーの時計の価格は新品、ヴィンテージを問わず上昇の一途をたどっている。10年、15年前でも、良質なヴィンテージウォッチは決して安いものではなかった。しかしヴィンテージウォッチの収集に莫大な資金が流れ込むようになったことで、ゲームの流れが変わったのは事実だ。私が時計に興味を持ち始めたころは、時計雑誌は雑誌売り場で鉄道模型や人形収集、切手収集の雑誌と一緒に並べられていた。それのころと比べ、状況が劇的に変化しているのは明らかだ。

Aurel Bacs Phillips Paul Newman Auction
ポール・ニューマン所有のポール・ニューマン デイトナ。その入札競争の渦中にあるオーレル・バックス(Aurel Bacs)氏。

 とりわけ収集価値があるモデルのオークション価格が驚くほど高騰しているのは(一部の記録的な例に限らず、一般的なオークションの価格も含めてだ)資産家でもなければ確かに問題で、10年前には比較的購入しやすいコレクターズアイテムだったものが多くの人にとってもはや手の届かないものになってしまっている(もちろん、10年、20年前にそういったモデルを手に入れていて、今売ろうとしているとしたら、それこそ時計収集における最高の喜びのひとつと言えるだろう)。それが必ずしもいいことなのか悪いことなのかはわからないが、時計収集の本質は根本的に変わってしまった。かつてはやや風変わりかつ難解で、たまに金がかかるが基本的に人目につきにくい趣味であったものが、現在ではメディアを舞台にした大掛かりなサーカスと化している。多くのサーカスがそうであるように、この状況は興行主にとっては好都合なものだが、権力の連鎖の下に行けば行くほどその恩恵は減っていく。そして、以前はより希少なスピードマスターやサブマリーナーを手にすることができた人々が、ゲームからはじき出されたことに苛立ち、腹を立て、その責任を負うべきだと考えた結果として特定の個人や団体を恨むのも無理はない。

 もう一方の質問、その時計にはそれだけの価値があるのか? にはふたつの答えがある。もちろん、ひとつ目は“ノー”だ。PNPNDのために支払われた対価は、いかなる尺度からみても合理的に正当化できるものではない。PNPNDやその他のデイトナの背後にある設計思想、工芸品としての品質、あるいはそのなかに潜む創意工夫のいずれと突き合わせても、もっともらしい、いや、論理的な整合性を欠くものだからだ。しかしながら、ふたつ目の答えは“イエス”だ。というのも、何かにつけられる価値とは定義上、誰かがそのものに対して喜んで支払った対価を指すものであるからだ。この場合により重要視されるのは、時計ものの価値だけでなく、それが何を象徴するものかという点にある。PNPNDとデイトナ全般が時計としての外観やデザイン的な特徴を超越し、背負っているものについてはすでに述べたとおりだ。特にPNPNDの価値はそのもの自体についてというよりも、ストーリーとして何を示唆しているかという点に尽きる。


2013年にクリスティーズで開催されたロレックス デイトナのオークションは、ヴィンテージコレクター界隈におけるゲームのあり方を一変させた……、そうだろう?

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 生活必需品に当てはまらないあらゆる贅沢品について間違いなく言えるのは、それらが持つ社会的認知度やステータス性の高さがそのまま市場価格に1から10まで反映されるということだ。つまり実用性よりも象徴的な価値に対して対価を支払っていることになる。だが、機械式時計の場合は、象徴的な価値がときとして実用性と強く結びつくというおもしろい状況も発生する。たとえば私の時計は、粒子加速器やMRI装置でしか見ることのできない磁場に耐えることができる。つまり私は無意味なほど高いタフネスと卓越した技術力を身につけて歩いているということになるのだ。しかしコレクターズアイテムの場合、事情は世の一般的な嗜好品とは少し異なる。贅沢品にとっては実際のところ、多少なりとも世の中に出回っていることが重要視されるかもしれないが(ステータスアイテムとして時計を身につけていても、誰もそれを知らないのではおもしろくない)、コレクションにおいては世の中に出回っていないものほど素晴らしいとされる。

 アート作品の収集では、問題は比較的単純だ。そもそも、どんなものでも1点しかないのだから(複製可能なフォトプリントやリトグラフ、いくつかにわたる彫像の複製など、複数個が作られる場合は別だ。その場合、価値を保ちたければ何点作るのかという公約を守らなければならない)。しかし製品化された商品に関しては、基準価格を大幅に上回る価格で取引されるのは多くの場合1点ものである。

British Guiana One Cent Magenta
スチュアート・ワイツマン(Stuart Weitzman)が所蔵するイギリス領ギアナの1セント・マゼンタ。Image: Wikipedia

 その一例として、英国領ギアナの1セント・マゼンタ切手を紹介しよう。この切手は1856年にイギリス領ギアナ(現在のガイアナ)でごく限られた数しか製造されず、現在に至るまで1枚しか残っていないことが知られている。切手収集の世界では、この切手は長らく伝説となっている。その来歴と価値は周知の事実であり、1922年にオークションで3万6000ドルで落札されたときにはすでに史上もっとも人気のある切手のひとつとなっていて、その後もオークションに何度か出品された。最近では、デュポンの相続人であり有罪判決を受けた殺人犯ジョン・E・デュポン(John E. du Pont)のコレクションであったことで知られており、彼は1980年にこの切手を93万5000ドル(当時のレートで約2億1200万円)で購入している。デュポンは72歳で獄死し、彼の遺産管理団体はこの切手をオークションに出品した。2014年6月17日、サザビーズのニューヨーク・オークションで、この切手は靴デザイナーのスチュアート・ワイツマンによて948万ドル(当時のレートで約10億円)で落札された。

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 そう、これはあなたがこれまで見たこともないよう見栄えの悪い紙切れである。極めて醜悪な傷んだ紫色(私に言わせれば“マゼンタ”なんて大げさだ)は、まるで乾燥したかさぶたのようで、まるで切手の形に爪切りで切りそろえたようにも見える。芸術的でもなければ魅力的でもない。ひと言で言えば、汚らしい。しかし切手収集の世界では、これはポール・ニューマンのポール・ニューマン デイトナに匹敵する代物なのだ(ひいては、時間が経過してボロボロになったいわゆるトロピカルダイヤルを持ち、現在収集可能なあらゆる“正当な”時計に通じる)。切手コレクターでもない人の目には、これは不規則な形をした紙の切れ端のようにしか見えないだろう。しかし切手コレクターからすると、この切手にはすべてが詰まっている。歴史、希少性、特別性、興味深い裏話(少々ぞっとするような話だが、その方がいいのかもしれない)、そして数十年にわたり少しずつ価値を高めてきた軌跡がある。ワイツマンが売却を決断した場合、これらの要素がこの切手を世界中の裕福な切手収集家にとって魅力あるものとするだろうと思う。

 ここで重要なのは、コレクターズアイテムの取引で記録的な結果が出たとしても、その影響はごく限定的なのものであるということだ。美術品オークション市場でバブルが起きると、それはさまざまなアーティストや作品にも波及する。PNPNDはバブルに乗っているかもしれないが、バブルを牽引しているわけではないし、今後も牽引することはないだろう。ひとつの華々しい成果が、それ以降の、しかも関連性のあるロットに何らかの影響を与えることは事実だ。しかし、そのような結果(それは本来、記録を更新したという話題性に起因している)が既存の市場を根底から劇的に揺るがすと結論付けるのは少々軽率なようにも思われる。

ダイバーズウォッチの祖として知られるブランパンのフィフティファゾムスが70周年を迎えました。

いずれも限定本数か生産本数が限られたモデルでしたが、より多くの人たちに手にとってもらうことのできるプロダクトもリリースされました。それが、スウォッチとタッグによって誕生したスキューバ フィフティ ファゾムスです。2年前は天体をテーマにしたムーンスウォッチでしたが、スキューバ フィフティ ファゾムスは、地球にある海をテーマにしたモデル。カラフルなバイオセラミックケースと機械式ムーブメントを備えたモデルで、発表されたあと大きな話題となりました。

 5種類のスキューバ フィフティ ファゾムスウォッチが登場した時、僕は正直言って少しがっかりしていました。ポップで楽しいカラフルなラインナップはもちろん魅力的でしたが、ムーンスウォッチのミッション・トゥ・ザ・ムーンのようにオリジナルモデルのトンマナにあわせたバージョンがひとつはあると思っていたからです。だから2024年が明けてすぐに発表されたオールブラックのスキューバ フィフティ ファゾムス オーシャン オブ ストームはとても気になっていました。僕はしばらくのあいだスウォッチからこれを借りて試してみることにしました。

 先行する5つのモデルが地球の海々をモチーフにしたのに対し、最新作は月の海、特に約2600kmに及ぶ最大の海「オーシャン オブ ストーム」、つまり嵐の大洋に着想を得ています。この海は実際には広大な平地であり、そのユニークなコンセプトが本作を特別なものにしています。

 本作の基本仕様は先代モデルを継承する形で、バイオセラミック製のケースは直径42.3mm、厚さ14.4mm、そして全長48mmです。このケース素材は、セラミックとヒマシ油から作られたバイオ素材で構成され、付属のNATOストラップは再利用された漁網で作られています。これはブランパンの海洋保護への取り組みを反映した、環境に優しい設計です。防水性能は91mで、これは1953年に発表されたオリジナルのフィフティ ファゾムスの仕様に合わせたものです。その当時、ダイバーが使用するタンクで潜れる最大深度、つまり50ファゾム(91m)を指しています。


 内部にはシステム51と名付けられた革新的な機械式ムーブメントを搭載します。実は僕はこのムーブメントには馴染みがあります。というのも僕はシステム51を採用した時計を3本所有しているからです。ブランドのこのムーブメントの選択は、ブランパンが1735年の設立以来、一貫して機械式時計の製造にこだわり続けている伝統に倣う形であるのです。システム51は、2013年に発表された世界で初めて完全自動化された製造プロセスを持つ機械式ムーブメントです。このムーブメントが特別なのは、たった51個のパーツから構成されていることで、これは従来の機械式ムーブメントが100個以上のパーツを必要としていたことと比較すると、そのシンプルさと革新性を示しています。
 スキューバ フィフティ ファゾムス オーシャン オブ ストームは、今回僕が初めて手にとって実際に試すブランパン×スウォッチモデルとなりました。海の見える台場の公園に連れていき、太陽の下でどう見えるのか、つけ心地はどうだったのかなど、本モデルについて、上の動画のなかでより詳しく解説していますので、ぜひご覧ください。