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洗練された魅力的なメトリックにファンキーさが加えられた。

メトリック クロノ レギュレーター。3色展開の各バージョンは限定仕様で、ブリューのファンで人気の高いクロノグラフを、特別なレイアウトにして少し異なる形で提供している。

これらの限定モデルは直径36mm、厚さ10.75mm、ラグからラグまで41.5mmの、通常のメトリック クロノグラフのサイズを踏襲。また3種類すべてのブレスレットはいずれもフルスティールかつサファイアクリスタルを使用し、50mの防水性を備えている。ブリュー メトリックをまったく知らない人は、以前のモデルでお届けした僕のHands-On記事を読んでみて欲しい。この最新トリオの限定モデルはファンキーな70年代の雰囲気はそのままに、レギュレーターのレイアウトへと変更され、センターには分針(同じように)があるが、時間は2時位置の24時間積算計に表示される。
ランニングセコンドは6時位置のインダイヤルで示され、クロノグラフは中央の秒針と10時位置のインダイヤルを使用する。文字盤は時を示すインダイヤルの中心点から広がる、円の配列で仕上げられている。ブリューもWorn & Woundも明るく楽しい色を避けることはほとんどないため、3種類すべてクロノグラフのスタート/ストップボタンやリセットボタンなどに、コントラストとハイライトを採用している。

3つのバージョンは、モスグリーン、スカイブルー、ルビーレッドと説明されているが、前述したようにその完成度は文字盤のベースカラー以上に奥深い。じっくりと見る価値のあるデザインであることは間違いない(特に手首につけているなら特に…今は何時だっけ?)。
過去のブリュー メトリックモデルと同様、これらのWorn & Woundコラボレーションエディションはセイコーインスツルメンツのメカクォーツムーブメント、VK-68を使用しており、価格は3つのバージョンのいずれも549ドル(日本円で約8万1000円)に設定されている。ただし各モデルは200本しか作られない。すでに発売しているため興味のある方はお早めに。

我々の考え
当然といえば当然かもしれないが、3本とも素晴らしいと思う。僕は2021年にレビューしたメトリックを純粋に愛していたが、これらの限定版はメトリックの手軽な魅力にさらに強く傾く。メトリックのような時計は、自国の時計産業から生まれるのを見るのがうれしい種類の時計だ。価格は良心的で着用感もよく、ほかの時計や別の時代への単純な言及よりも興味深いものを提供してくれる。

3本のうち、自分がどれを選ぶかはわからないが、これらはかなり人気がでるだろうと想像している。3つのカラーリングはそれぞれの個性を感じさせながらも、プラン(モットー)を守るという素晴らしい仕事をしている。文字盤のサーキュラーとアシンメトリーに仕上げられたおもしろさ、多様な針、そして無数の色彩のタッチのすべてが、非常に楽しいトリオウォッチの役割を果たしている。
内心ではイエローゴールド(トーン)のケースを持つ、レトロダイヤルのメトリックを心待ちにしているかもしれないが、ブリューとWorn & Woundがこの最新のコラボレーションでもたらすものに反論するのは簡単ではない。70年代のデザインを基盤としながらも、明るく楽しく、時計への情熱に駆られたすえ実行したブリューとWorn & Woundは、時計の楽しさを伝え続けているからだ。

基本情報
ブランド: ブリュー×Worn & Wound(Brew x Worn & Wound)
モデル名: メトリック クロノ レギュレーター(Metric Chrono Regulator)

直径: 36mm
厚さ: 10.75mm
ラグからラグまで: 41.5mm
ケース素材: ステンレススティール
文字盤: モスグリーン、スカイブルー、ルビーレッド
インデックス: アプライド
夜光: あり、BGW9
防水性能: 50m
ストラップ/ブレスレット: SS製ブレスレット

ムーブメント情報
キャリバー: セイコーインスツルメンツ VK68(メカクォーツ)
機能: 時・分・スモールセコンド、クロノグラフ(12時関計)
直径: 30.8mm
厚さ: 5.1mm

価格 & 発売時期
価格: 549ドル(日本円で約8万1000円)

新しいレガシー・マシーンのスプリットエスケープメントは今後のMB&F。

MB&Fのレガシー・マシーン(LM)の全ラインナップのなかで、色や素材、あるいは複雑機構に関係なく、すべての時計に共通するものを見つけるなら、それは常にフローティング(吊り下げ式)テンプを頼りにすることだ。

新しいLM SE EVO 台北エディションは、MB&F ラボ 台北でのみ、320万台湾ドル(日本円で約1475万円)で販売される。
 その核となる機能は、2011年に登場した初代レガシー・マシン No.1まで遡ることができる。しかし、2017年に初めてリリースされたLM スプリットエスケープメント(LM SE)は、同ブランドのモダンなリリースのなかでも、技術とデザインを洗練させた10年という点で最も象徴的なもののひとつである。今週、LM SEのスポーティな新バージョン、EVO 台北エディションが発表された。基本的には特別仕様の文字盤バリエーションであるが、ここにたどり着くまでの軌跡をたどるいい機会だと思った。
 MB&Fが最初のレガシー・マシンで世界を席巻したのは2011年のことだ。アブラアン-ルイ・ブレゲ(Abraham Louis Breguet)が今日の知識と技術で何を作ろうとしているのか考えたのと同じように、マックス・ブッサー(Max Büsser)氏もその疑問について考えた。“もし私が自分が生まれる前の1867年に生まれていたら? 友人たちの助けを借りて、私はどんな時計を思いついていただろうか?”と彼は自問した。
 その結果、ドーム型クリスタルとフローティングテンプ、そして独自の垂直式パワーリザーブを備えた、LM No.1が誕生したのだ。このモデルはジュネーブ時計グランプリ(GPHG)でふたつの賞を受賞した。前面が印象的なデザインにもかかわらず、背面ははるかにクラシカルなのだ。パッケージ全体がマックス・ブッサー氏だけのビジョンではなく、一緒に作品に取り組んだクロノード社のジャン-フランソワ・モジョン(Jean-François Mojon)とカリ・ヴティライネン(Kari Voutilainen)の天才的な才能の証でもある。

LM No.1 ロングホーン。

LM No.1 ロングホーンに搭載されたムーブメント。
 ここでは簡潔にするために、LM No.2とLM 101(それ自体がおそらくLMデザインの真髄だ)を飛ばして、今週発表されたEVOが、どのようにしてレガシー・マシーン スプリットエスケープメントにつながるのか、その経緯をお届けする。
 マックス・ブッサー氏の周囲には天才がいると以前話したが、このブランドの“友人(Friend、MB&FのF)”のなかで、私が最も魅了されているひとりがいる。2015年、神学者であり北アイルランドの時計職人でもあるスティーブン・マクドネル(Stephen McDonnell)氏に、ブッサー氏はLM パーペチュアルのデザインを依頼した。彼はこの時計にふたつの条件を課していた。それは、本来のやり方とは変えること、それと文字盤中央にはMB&Fの特徴であるフライングテンプを配置することだ。マクドネル氏が直面した問題は、少なくとも伝統的な意味で脱進機を設置するスペースがないことだった。

 

過去のレガシー・マシンのテンプは脱進機とともに時計の前面にあったが、パーペチュアルカレンダーを表示する上では十分なスペースを確保できなかった。そこでマクドネル氏は、世界最長となる天芯を製作し、テンプを時計の前面に残しながら、脱進機の残りの部分(アンカーとガンギ車)を、約12mm下に配置できるようにしたのだ。最初にこの設計が実現したのはLM パーペチュアルだったが、このアイデアは、2017年に発表した簡略化されたLM SEにも採用された。

 

長年にわたり、ブランドはダイヤルカラーやムーブメントの素材を変えて多くのLM SEをリリースしてきた。これはブランド共通のテーマである。ひとつのリリースを逃した場合は、そう遠くない未来に別のリリースのチャンスがあるのが普通だ。しかし、LM SE(およびLMシリーズ全般)最大の大きな変化のひとつは、2020年にLM パーペチュアル EVOとともに、EVOケースが登場したことである。
 EVOラインは理論的にLMの問題点のいくつかを修正したものだ。豪華で彫刻的ではあるが、日常生活には少し不向きに思えるかもしれない。80mの防水性、ねじ込み式リューズ、一体型ラバーストラップ、ノンベゼルデザインを採用しているのがポイントだ。また世界初のモノブロック衝撃吸収システムであるフレックスリング(FlexRing)によりムーブメントが吊り下げられており、日常的な使用(および若干雑に扱っても)に対応できるよう設計されている。そしてオリジナル同様、LM パーペチュアル EVOがリリースされて間もなく、2022年にLM SE EVOが後に続いた。


 それはブランドにとって形とシンプルさに回帰したものだったが、同時にスカイブルーというメインテーマおよびビバリーヒルズ・エディションによって、ドラマチックな色も強調されていた。上の写真にある、UAEの“ゴールデン・ジュビリー”エディションは、その直後に発売された。実際、今回の最新台北モデルは、この1年余りで4本目となるリリースであり、これは2023年の生産本数を500本未満と予測しているブランドとしてはかなり早いペースである。44mm径×17.5mm厚というEVOのバリエーションは、サイズ的にはオリジナルのSEより小さくもなく、装着しやすくもないが、理屈の上ではより耐久性に優れている。


 新しいLM SE EVO 台北エディションは、スプリットエスケープメントのムーブメントが、ブラックの地板とグリーンダイヤルを備えたグレード5チタンケースに収められている。また約72時間のパワーリザーブのために、主ゼンマイの入ったふたつの香箱を備えた手巻きムーブメントはそのままに、面取りされた内角、コート・ド・ジュネーブ、手作業で施されたエングレービングなど、19世紀スタイルの手仕上げも施している。ダイヤルには時・分・日付、パワーリザーブインジケーターがあり、ケース左側のプッシュボタンで日付を調節する。しかしここで重要なのは、MB&Fがスポーティなデザインと、目立つものの以前のモデルほど派手ではない装着しやすいカラーウェイという完璧なバランスを取ったことだと思う。史上2番目のM.A.D.ギャラリーで、ロリ・シェン(Lori Shen)氏とそのチームを称える素晴らしいリリースだ。しかし、20本のうちの1本を手に入れるには、台北まで足を運んで約10万ドルを支払う必要がある。

 ここ12年のLMシリーズの発展を振り返ると、技術と素材の進化により、ブッサー氏とその友人たちは、ますます急速に時計製造の限界を押し広げているように感じる。ただ情報を逃した場合に、”もう1度チャンスを得る”という私の一般的なルールには例外がある。初代LM No.1の製造期間はわずか6年だった。LM SEがブランドの中心的な象徴となる時計として、最後の日を迎えようとしていることは想像に難くない。素晴らしいデザインだが、これまでのMB&Fの歴史を物差しにすると、EVOラインがその若さを保っていなければ少々古くなってきたと思うかもしれない。
 もしそうなら、ブッサー氏と彼のチームは、MB&Fの次のデザインに活かせる才能に事欠くことはないだろう。LM シーケンシャル EVOはMB&Fが誰も可能だとは知らなかったこと、ましてや必要だとは思わなかったことを実現した一例にすぎない。ただこのブランドは常に、LMシリーズと同等の形で、常に複雑さとシンプルなエレガンスのバランスを取ってきた。私は内部の事情は知らないが、自身の論理を基に言うと、年内にMB&Fから何か新しいものが発表されるのではないかと考えている。複雑さ対シンプルさという“作用反作用”のビジョンを持っているので、ブランドがフローティングテンプの核となるデザインを、新しくエレガントかつシンプルな方法で実現したものを出したとしても驚かない。

セイコーが新しいデジタルウォッチを発表した。

ベゼルを回すことでデジタル機能を選択でき、デュアルタイム、アラーム、ストップウォッチ、カウンター、タイマー、そしてもちろん時刻設定を切り替えることができるのだ...とてもクールだろう? 実はこれ、以前にも見たことがある。今回のモデルは、1980年代初頭に登場したセイコー A829の実質的な復刻版であり、当時は特に宇宙飛行士たちに人気があった。というのも、想像のとおり(宇宙服の!)グローブを着けたままでも操作できるベゼル機構が採用されていたからである。もちろん、小さなボタンを押す手間を避けたい人々にとっても理想的な仕様だった。

 A829およびその類似モデルは、回転式ベゼルを備えていたことから、すぐに“ロトコール(Rotocall)”の愛称で知られるようになった。セイコーによれば、セイコー アストロノートと呼ぶ者もいたという。どちらの呼び名も実にふさわしい。なぜならこのロトコールは多くの宇宙飛行士たちに選ばれ、実際のミッションで着用されたからである。そのなかには、オランダ人宇宙飛行士ウッボ・オッケルス(Wubbo Ockels)、NASA宇宙飛行士で“宇宙初の母”となったアンナ・フィッシャー(Anna Fisher)氏、初のオーストラリア人宇宙飛行士ポール・デズモンド・スカリー=パワー(Paul Desmond Scully-Power)氏、そしてNASAミッションに参加した初の西ドイツ人ウルフ・メルボルト(Ulf Merbold)氏らが含まれている。
 ロトコールは、NASAやその他の宇宙機関で正式支給された時計ではなかった。宇宙飛行士たちは自らの判断でこの時計を選んだのであり、それがこのモデルの機能性と実用性を如実に物語っている。かつてそうであったように、そして今回の新バージョンにおいてもこれはまさしく真のツールウォッチである。

 もちろん今回の復刻版は、これらすべての機能がスマートフォンで簡単に手に入る時代に登場したものだ。しかし、かつてオリジナルモデルをミッションで身に着けた宇宙飛行士たちのように、我々もまた自分の興味や考え、必要性、そして個性を表現するために時計を身に着ける。そしてそれを、日常という自分自身の冒険に連れ出すのだ。この時計が物語るのは、宇宙という過酷な環境で任務をやり遂げた、勇敢で卓越した才能をもつ男女の腕に輝いたタイムピースへの敬意である。その背景を受け継ぐことは、この復刻モデルにとってきわめて重みのある使命である。

 その実現のために、このモデルはオリジナルにきわめて忠実な設計を採用している。ステンレススティール製ケースの直径は37mmと非常に装着しやすく、厚さもわずか10.6mmとスリムだ。ラグ・トゥ・ラグは約43.5mmとコンパクトで、軽量かつ快適な装着感を目指している。さらにフラットなラグ形状がその快適さをいっそう高めている。このリイシューモデルでは、新たにAM/PMインジケーターとバッテリー残量表示を搭載し、シンプルなLEDディスプレイにより多くの情報と実用性を加えている。
 このミニマルなスティールケースは、この時計の最大の特徴であるベゼルを堂々と引き立てている。展開は3種類で、いずれもオリジナルと同じイエロー、レッド、ブルーのカラーバリエーションだ。イエローとレッドはブラックと、ブルーはグレーとのコントラストを成している。ブルーとイエローのベゼルモデルにはオレンジの、レッドモデルにはイエローのアクセントが施される。双方向回転ベゼルを回すことで、目的の機能を素早く切り替えることができる。操作はきわめてシンプルだ。ブレスレットも同様にシンプルで、SS製の5連ジュビリースタイルを採用。新しいロトコール クロノ アラームを、日常のあらゆるシーンで手首にしっかりと固定してくれる。
 価格は、3色いずれも7万1500円(税込)で展開。セイコーの正規販売店で購入できる。詳細なスペックは以下のとおりだ。

我々の考え
手ごろな価格で高品質、さらに明確な目的をもった時計づくりで知られるセイコーがデジタルクォーツの世界に戻ってきたのは実にうれしい。そして今回のモデルは、オリジナルの持つ素晴らしい背景を継承した、十分に価値のある参入作だ。しかも限定ではなくレギュラーコレクションの一部として展開されるという。これは明らかに、同価格帯でメタル製G-SHOCKを数多く展開するカシオへの強烈な一手であり、セイコーが堅牢なデジタルクォーツウォッチのもうひとつの選択肢として再び存在感を示そうとしていることを思い出させてくれる。


基本情報
ブランド: セイコー(Seiko)
モデル名: セイコーセレクションデジタルクオーツ “ロトコール”(Seiko Selection Digital Quartz “Rotocall”)
型番: SBJG017(イエローベゼル)、SBJG019(レッドベゼル)、SBJG021(ブルーベゼル)

直径: 37mm
厚さ: 10.6mm
ラグ・トゥ・ラグ: 43.5mm
ケース素材: ステンレススティール
文字盤: デジタルディスプレイ(ブラックまたはライトグレーのベゼル)
夜光: デジタル表示のLEDバックライト
防水性能: 日常生活用強化防水(10気圧)
ストラップ/ブレスレット: SSブレスレット

1982年に発売された、当時のロトコール。

ムーブメント情報
キャリバー: A824
機能: 時・分・秒表示、アラーム、デュアルタイム、クロノグラフ、タイマー、カウンター
電池寿命: 約3年
追加情報: デジタルクォーツ、月差±20秒

価格&発売時期
価格: 全モデル7万1500円(税込)

時計に何が付いているかではなく本体に注目する傾向がある。

これらはすべて、目の前にあるものを評価するときのチェックリストの一部であるのは事実だ。しかし、その時計がおもしろそうなブレスレットに付いていて、さらにその手がかりが見つかりそうなら、それは珍しい時計というだけでなくレアなアクセサリーも手にしたという可能性がある。今日、間違いなく最も有名なブレスレットサプライヤーであるゲイ・フレアー(GayFrères)社を調査したが、それは時計のブレスレットにとどまらない、素晴らしいストーリーを持っていることがわかった。


クラスプにはゲイ・フレアーの特徴的なエングレービングが施されている。

 ヴィンテージウォッチを手に取り、ブレスレットのクラスプに刻印された“G”と“F”の文字、そしてそのあいだにある羊の胸像が確認できたら、そのブレスレットはオリジナルである可能性が高い(少なくとも同時期のもの)。その昔、時計メーカーに製品を供給していた人たちの名前と同じように、時間が経てば、線は柔らかくなり、刻印も目立たなくなり、それらも色あせてしまうだろう。しかし、これは20世紀を代表する金属加工業者によるブレスレットで間違いない。今日、オークションカタログに掲載された、“ゲイ・フレアーのオリジナルブレスレットが付属”した時計の物語である。

The Bonklip (far left) for Rolex and the evolution of the Oyster bracelet.
ロレックスのボンクリップ(左端)と、進化していくオイスターブレスレット。

 ロレックスの初代のブレスレットは、当時ブレスレットサプライヤーとして有名なゲイ・フレアーが手掛けたことについては説明した。時計の世界に足を踏み入れるには悪くない方法だろう? ロレックスのために、ゲイ・フレアーは1930年代初頭からボンクリップ・ブレスレットを大量に注文していたのだ。

 これらは伸縮自在なうえ、非常に快適で堅牢だった。また、ゲイ・フレアーのような専門知識を持つメーカーにとって、大規模に生産するのもとても簡単だった(詳細は後述する)。これは当時流行していたスタイルであり、他社も同じデザインをロレックスに供給してきたが(実際にそうしていた!)、GF(ゲイ・フレアー)のつくりのよさのほうがいちばん印象に残った。


この広告はボンクリップのメリットのひとつである、さまざまな手首のサイズにフィットすることを強調している。

 これらのステンレススティール製ブレスレットがもともと頑丈であるならば、ゲイ・フレアーを魅力的なパートナーにしているのは、デザイナーのオリジナリティにある。20世紀のあいだ、同社はSS、ゴールド、プラチナをもとに、あらゆる形やサイズのブレスレットをつくり、当時のさまざまなファッションを完璧に捉えた製品を提供することができた。特にアール・デコ時代のものは種類が豊富かつ芸術性に優れていた。国境を越えたフランスのメゾンであるカルティエが、1920年代から30年代にかけてそのスタイルのセンスを証明した一方で、ジュネーブに拠点を置くこのブレスレットサプライヤーも同様のセンスを示した。興味深いことに、1930年代にSSケースが流行したことで、ゲイ・フレアーは成功を収める。この金属は当時、ゴールドよりもかなり加工が難しく、多くの専門的な職人技が必要とされたため、ゲイ・フレアーが特別な専門技術を有していた分野のひとつであったことは間違いない。


 ほぼ間違いなく、ゲイ・フレアーはジュネーブの名だたるマニュファクチュールのために、その最高傑作を製作した。1940年代から50年代にかけて、同社はふたつの近しいブランド、パテック フィリップとヴァシュロン・コンスタンタンの時計の品質に見合ったブレスレットを供給していた。パテックでは写真のライスブレススタイルの汎用性を証明し、シンプルなSSカラトラバやローズゴールドのパーペチュアルカレンダーと組み合わせている。忘れてはならないのは、オークションで落札された史上最高額の腕時計(1100万ドル/当時の相場で約11億9670万円のSS製パテック フィリップ Ref.1518)の新しいオーナーの手首に巻かれるのがゲイ・フレアーのブレスレットだということだ。素晴らしい個体も同じリファレンスだろうか? ブレスレットもゲイ・フレアー製のものが多い。

The 1518 from Patek Philippe, introduced in 1941, was Patek's first perpetual calendar with chronograph, ever.
1941年に発表された、テック フィリップの1518は、パテック初のクロノグラフ付き永久カレンダーである。

 しかしゲイ・フレアーの素晴らしさは、ドレスウォッチに合うブレスレットとスポーツウォッチに合うブレスレットを区別する非常に細かいニュアンスを理解していたことだった。ある領域から別の領域へと設計を適応させることができるのは重要なことだった。


ゲイ・フレアーのブレスレットが付いた1969年頃製のホイヤー Ref.2447SN。2016年のフィリップスで4万スイスフラン(当時の相場で約445万円)で販売された。

 1960年代から70年代にかけて、一部のメーカーがクロノグラフをはじめとするフェッショナル向け腕時計の製造に注力するようになると、ゲイ・フレアーは新しいデザインを選ぶようになり、オイスターのような巻きブレススタイルで両端を挟んだライスブレスレットをホイヤーなどの企業に提供した。これは初期のカレラやオータヴィアを含むいくつかのモデルに当てはまるが、ノバビット S.A.(NSA)社のブレスレットを使用したモナコには当てはまらなかった。ホイヤーもロレックスと同様、複数のサプライヤーを抱えていたのだ。


ヴィンテージのゼニスクロノグラフで見られる、有名なラダーブレスレット。

 一方でゼニスは自社製クロノグラフ、エル・プリメロ用にラダー(梯子)ブレスレットと、ホローリンクブレスレットの両方を発注していた。つまり1969年時点のGFは、別々の会社が作ったと思われるほどデザインの異なるブレスレットを、互いに直接競合するメーカーに供給していたほど悪名高かったということである。特にラダーブレスレットはゼニスを象徴するものとなっており、GFのデザインであることすら知らない人もいるほどだ。これらは確かに時計に独特の外観を与えた。そのためオリジナルブレスレットが外された状態で市場に出回ることが多く、現在ではSS製であっても、単体だと2000ドルから3000ドル(当時の相場で約23万~35万円)の値がつく。


ゲイ・フレアーは、いつでもブレスレットの幅広い選択肢を提供していた。

 1970年代には、エレガントなデザインと力強いデザインの繊細なバランスが、パテック フィリップのようなかつての顧客だけでなく、SSを扱ったことのない時計職人を含む、より確立された大企業を引きつけた。ロイヤル オークが登場する前のオーデマ ピゲは複雑なドレスウォッチを製造していたマニュファクチュールであり、そのすべてが貴金属でできていたため、最初の一体型ブレスレットのデザインは非貴金属に関するGFの専門知識に大きく依存していたのだ。その4年後、パテック フィリップがノーチラスを発売したときも同じだった。

 実際、1976年にゲイ・フレアーは、オーデマ ピゲやパテック フィリップよりもずっと大きな規模になっていた。ジャック=ユベール(Jacques-Hubert)とジャン=フランソワ・ゲイ(Jean-Francois Gay)の兄弟が家族経営していたこのブレスレットサプライヤーは、ジュネーブで最大かつ最も専門化された工場であり、500人以上のスペシャリストが在籍していたのだ。


ロイヤル オークとノーチラスは同じジェラルド・ジェンタ(Gérald Genta)を父に持つだけでなく、ブレスレットのサプライヤーも同じであった。

時計のブレスレットが登場するまで
ジャガー・ルクルト、ユニバーサル・ジュネーブ、ティソ、IWC、エテルナなど、ゲイ・フレアーの持つ輝かしい顧客リストは挙げればきりがない。しかし、ゲイ・フレアーの重要な点は見過ごされがちである。まずは設立された1835年に遡る。この年代は19世紀前半には腕時計が存在しなかったことを考えると、ゲイ・フレアーが最初から腕時計のブレスレットメーカーではなかったことを示している。実際、ゲイ・フレアーはブレスレットメーカーとしての地位は確立しておらず、ロレックスの傘下(1998年に買収)となった今もそうだ。


ゲイ・フレアー製のもうひとつの種類のブレスレットと、それと揃いのネックレス。Courtesy: Piguet Auction house

 ゲイ・フレアーは、フランス語で懐中時計用のチェーンを製造する会社を意味するチェイニストとして生まれる(16世紀に起きたペンダント需要はそののち3世紀後に復活し、1920年代のペンダントトレンドでは頂点に達した)。1942年の“Montres Et Bijoux de Genève”誌の記事によると、ジュネーヴはチェイニストの質の高さが非常に有名で、北イタリア、トルコ、バルカン諸国では、チェイニストのリンクが通貨価値を決めていたほどだった。懐中時計が腕時計にその座を奪われると、チェイニストはチェーンに加えてブレスレットも提供しなければならなかった(生き残ったところもあるが多くは廃業した)。貴重なネックレスやブレスレットが自然に広まる一方で、ゲイ・フレアーは指輪を含むほかのクラシカルな宝飾品も提供していて、そのうちのひとつが時計のブレスレットのクラスプで見られる、羊をモチーフにしていた。


ゲイ・フレアーの古い広告では、ブレスレットと時計用ブレスレットについて、同様の構造を示していた。

 これは現在ではあまり知られていないゲイ・フレアーの一面であるが、当時同社が推進した最大のビジネスのひとつであった。権威あるジュネーブの展示会、モントレ・エ・ビジュー(Montres et Bijoux)の年間カタログを見るとよく理解できる。ゲイ・フレアーは常に洗練されたネックレスや華美なブレスレットをいくつか展示していたが、当時大量に製造していた“一般的な”腕時計用ブレスレットは一切展示していなかった(そのため、バーゼル見本市には参加していた)。もちろん、これらの格調高い作品によってGFは、自動車業界がコンセプトカーを製造するかのように、同社が実現できる職人技をわかりやすく示すことができたと言えるが、正直なところ、これはショーのためだけに作られた逸話的な作品ではなかった。

Gay freres 1969
1969年の非常に遊び心のある例。この小さなジュエリーは、ラウンドエンドにゴールドを使った革新的な処理で、その年に賞を受賞している。

 現在、ピアジェのために信じられないほど薄いブレスレットをつくっている、かつてのゲイ・フレアーの従業員に話を聞いてみると、彼らの技術を形作っていたのはジュエリーであり、それにより高度な時計用ブレスレットが考案できるようになったことがわかった。あるいは、とあるベテランが説明していたように、ロイヤル オークのブレスレットの仕上げでさえ、何人かの有資格労働者が次々と介入してくるような作品を定期的に作るのに比べれば、簡単に感じられたのだ。そして、ちょっとしたミスが原因で、アイテムを溶かして1からプロセスをやり直さなければならなかったことが多いことも知っておく必要がある。これは間違いなくチームワークの素晴らしさをあらためて認識させるものだ。ゲイ・フレアーのこの側面は、伝統的な時計製造と同様、細かな作業が重要な世界であることを明らかにした。

今日において時計で最も酷使され、誤解されている部品のひとつだ。

ヘリウムエスケープバルブは、今日の時計で多用されていながらあまり理解されていない部品のひとつである。あっても損はないが、その機能は極めて特殊であり、(わざわざ腕時計を着用するような)商業ダイバーでなければまったく意味をなさない。今こそこれまでの迷信を断ち切るときだ。ここでは、ヘリウムエスケープバルブについて説明しよう。

ブランドの大小を問わず、ケースに余分な穴を開けてこれらの時計の極限性能を誇示し続け、多くの場合はこの部品をより深い深度やより安全なダイビングに結びつけて誤認を誘っている。その一方で、多くの純真な時計購入者たちはヘリウムエスケープバルブのないダイバーズウォッチはどこか劣っていると思い込み、そのためにほかの何よりもこの機能を求めるのである。

ShearTime経由で撮影した、エスケープバルブ機構を備えるシードゥエラー。

チェーンフュジーやトゥールビヨンなど計時精度の向上を目的とした複雑機構とは異なり、ヘリウムエスケープバルブはごくシンプルな機構だ。基本的には、強力なスプリングにプラグ、そして良質なゴム製ガスケットで構成される一方向の圧力逃し弁である。まったく複雑じゃない。

 

1960年代にアメリカ海軍のダイバー、ボブ・バース(Bob Barth)の提案から、ロレックスがシードゥエラー用に特許を取得してヘリウムエスケープバルブを開発したとき、ダイバーズウォッチは水深計や水圧計と並んで正当な計器として使われていた。ロレックスはSEALABやCOMEX所属のダイバーをはじめとした、急成長していた商業ダイビングの分野で活用されていた。ダイビングベルと海中作業基地が使用され始めたばかりのころのことである。商業ダイビングで使用される乾燥した加圧室内に長時間滞在すると、時計内にヘリウムガスが蓄積され、その結果風防が弾け飛んでしまうという問題がダイバーたちによって発見されたのだ。バルブはこの問題を解決する画期的な手段だった。

ドクサによると、同社のダイバーズウォッチであるコンキスタドール(1969年)は、ロレックスのシードゥエラーが主に商業的なツールであり続けたのに対し、一般消費者向けに販売されたヘリウムエスケープバルブを搭載する最初の時計であった。ドクサ版のこのバルブが、減圧制限のないベゼルを開発した時計に搭載されたのは皮肉なことだ。このベゼルは、ヘリウム混合ガスが満たされた環境に1週間“浸かった”のち、商業用ダイバーズウォッチの風防が弾け飛ぶ原因となっていた減圧をレジャーダイバーが回避できるようにするために作られたものだ。商業用のダイバーズウォッチでは、数時間の潜水作業中に60分計のベゼルを使用することはほとんどない。


ヘリウムエスケープバルブを搭載したドクサ。

大げさな宣伝文句やプレスリリース、腕時計のレビューを読むと、ヘリウムエスケープバルブが搭載されていることでより深く潜れるようになるとか、より本格的なダイビングができるようになるといったことが書かれていることが多い。しかし、ダイビングを商業的に行うごく少数の人でもなければ、エスケープバルブを追加することは、ケースにもうひとつ穴を追加すること以外の何ものでもない。それどころか、私が頑丈なスポーツウォッチに魅力を感じる理由である“必要なものはすべて揃っていて、不要なものは何もない”という美学にそもそも反している。

ヘリウムエスケープバルブは、より深い深度まで潜水できる時計を作るためのものではない。このバルブは乾燥した加圧環境で機能するように設計されており、空気中のガスに対応するだけで、潜水中に時計が水没する水中では機能しないのだ。ブランドはダイバーズウォッチにこれを搭載すべきではないとまでは言わないが、その機能や用途、そもそもなぜ搭載したりしなかったりするのか、その理由を現実的に考えてみよう

このパートナーシップは、時計の世界における文化的な進化を示すものなのだろうか。

先週の木曜日、時計メディア、インフルエンサー、セレブリティグループが、オーデマ ピゲとトラヴィス・スコット(Travis Scott)とともに1日を過ごした。同僚のプレス関係者と私は、店舗占拠、製品発表会、そしてシークレット・ショーに出席した。しかし、私は個人的な倫理的危機の真っ只中にいることに気づいた。私はこのコラボウォッチレビューを実際の製品で行い、文脈についてのコメントを丁重に断るつもりだったのだろうか? それとも、今回のような立ち上げに際して必ず出てくる難問に、HODINKEEが身を乗り出す必要があるのだろうか? なぜトラヴィス・スコットなのか? なぜヒップホップと手を組んだのか? これを誰が気にするのか?

まず私が“アンチ・エスタブリッシュメント”(従来の習慣を支持する人・モノを反対すること)疲れを抱えていることを先に述べなければならない。私はこの限定版ロイヤル オークを、公平性の問題にするのではなく、独自の技術的・美的なメリットに基づいて分析したいと強く願った。しかし時計業界全体、時計メディアの状況、ときには一緒に仕事をしている人たちのあいだにさえ、このような考え方が蔓延している。変化に適応できない、あるいは何か新しいものが現状に対する侮辱ではないと考えることさえできない愛好家や専門家を見つけるのは難しくない。

その偏見はしばしば覆い隠され、時計の種類から販売方法まで、私たちは何が重要で何が重要でないかについての無意味なレトリック(情報を発信する側が効き手側を説得する手法)に移行することを余儀なくされる。もちろんその言説はブランドの経営幹部の気まぐれである。これでは本物の愛好家は高級品業界の攻撃的なヒエラルキーに翻弄され、その結果コミュニティ間で非常に厳しい意見を生み出すことになるのだ。

だから、オーデマ ピゲがヒューストン生まれの32歳のラッパー、トラヴィス・スコットと、彼のレコードレーベルであるカクタスジャックとコラボすると聞いたとき、当然のことながら、私は腰を上げて注目をした。私がトラヴィス・スコットのファンだからというだけでなく、これは紛れもなくひとつの文化的瞬間だったからだ。アメリカ最大の文化輸出品であるヒップホップが、今やスイスの高級時計業界に“公認”、共同署名され、影響を与えていることが目に見えた日である。2005年のジェイ・Z(Jay-Z)とのコラボレーションを考えれば、オーデマ ピゲのラウンド2と呼ぶ人もいるかもしれない。しかし、その考えは短絡的だ。オーデマ ピゲはジェイ・Zのようなアーティストとトラヴィス・スコットのようなアーティストの違いを見分けるのに十分な知識を持ち合わせている。彼らは25歳近く離れ、異なる音楽を作り、異なるオーディエンスの注目を集めている、別のアーティストなのだ。

歴史的なレンズをとおして見ると、ジェイ・Zのときの限定オフショアは、21世紀の時計デザインのなかで最も重要な時計のひとつであった。確かに、当時ジェイ・Zの10周年を記念したオフショアは、ハリウッドやスポーツと交差する無数のオフショアリミテッドエディションとともに人気のあるリリースだった。ただジェイ・Zの時計は、はるかに重要なものを意味するようになった。それは高級時計製造におけるレガシーブランドと、史上最高のラッパーのひとりとの融合だ。当時、彼自身のキャリアはわずか10年だったがすでにヒップホップ界の重鎮として君臨し、私たちの世代で最も重要な文化的人物のひとりとなる道を歩んでいた。

この時計のリリースは、ヒップホップとラグジュアリーの“公式な合併”であり、オーデマ ピゲの現CEOであるフランソワ-アンリ・ベナミアス(François-Henry Bennahmias)氏はこの偉業を誇りに思っている。「ビフォーとアフターがありました」とベナミアス氏は言う。「オーデマ ピゲの世界や時計製造の世界だけでなく、ラグジュアリーの世界にも」。ジェイ・Zとブランドのコラボレーションは、ベナミアス氏によるオーデマ ピゲの全体的な先進的姿勢を象徴するものとなり、ラグジュアリーブランドが最終的にどのような方向に向かうのか、鋭く予言していた。

ジェイ・Z、ファレル(Pharrell)、タイラー・ザ・クリエイター(Tyler the Creator)ら(彼らは皆、何らかの理由で、ヒップホップを楽しむ大衆に“受け入れられる/よろこばれる”人物とみなされてきた)以外のメインストリームヒップホップアーティストにも、腕時計をコレクションしている人たちがいることを思い出して欲しい。おそらく、これらのラッパーはあなたの琴線に触れないかもしれないが、彼らは時計に興味のある、多くの個人の願望や嗜好を、ときにはライフスタイルやデザインの角度から定義している。ところで、それは機械の理解と歴史への愛着を持ってこの趣味に取り組むことに劣らない美徳である。この層は、時計に興味のある傍観者だけで構成されているわけではない。今日の脆弱な市場で時計のエコシステムを維持するために、完全に必要なものなのだ。彼らは歌詞にイメージを使ったり、ゲッティに届く前に写真を掲載したりすることでこの趣味を売り込んでいるほか、Instagramに投稿される、腕時計を探すための高度なキュレーションされたフィードに投稿をしている。彼らは、多くの人が必死にしがみつき、私的な聖域として存在しようとしているサブカルチャーの歯車を回し続けている。“本物”の愛好家は、このカテゴリーの消費者を見下している。特にウォッチスポッティングのコメントを見ていると、“ひよっ子は下がってろ”的な状況になっていることが多い。

大局的な意味で、つまり私たち全体を見据えた意味だと、オーデマ ピゲがここで何をしているのか、コンセプトカーのなかにあるブラックパンサーやスパイダーマンのミニチュア彫刻と同じように正確に把握している。トラヴィス・スコットはスーパースターだ。彼はこの世代のラッパーであり、ヒップホップ界で最も若いビジネスリーダーのひとりであり、カーダシアン&ジェンナー家のふたりの子どもの父親であり (セレブの大空で彼を不滅にしている) 、グラミー賞に10回ノミネートされたアーティストであり、マルチプラチナレコードを達成したメガスターである。彼は真の実力者だ。

スコットはポップカルチャーの世界に慣れていないわけではない。彼は2015年に音楽をリリースし始め、カニエ(Kanye)のプロデューサーであるマイク・ディーン(Mike Dean)のような業界トップのおかげで注目されるようになった。ジャンルの好みやラップ音楽への思いに関係なく、作品的にスコットの音楽は文句のつけようがない。ジャーナリストでありニューヨーク・タイムズ紙のポップミュージック評論家、ジョン・カラマニカ(Jon Caramanica)氏は、「(しかし)トラヴィスのセレブリティは音楽的成功を凌駕するかもしれません」と語る。「インターネットが発達したヒップホップ時代には、ストリーミング楽曲で大成功を収めても、自分をフォローしてくれる人たちの輪の外では極端に知られていないことがあります。トラヴィスはある意味、その逆かもしれません」

スコットはナイキ、マクドナルド、ディオールなどのブランドとコラボレーションしてきた。2020年の米郵政公社危機の際には、トラヴィス・スコットの切手がUSPS(アメリカ合衆国郵便公社)を救うと、ザック・ボーマン(Zach Bowman)の冗談めいたツイートが拡散された。私はくすぐったくなったと同時に、同意したい気持ちもあった。トラヴィス・スコットは企業ブランドの囁き手だ。もし彼がマクドナルドにクォーターパウンダーをもっと売らせ、カクタスジャック×ナイキ・ジョーダンのリセールバリューを元の小売価格の400%アップさせ、オーデマ ピゲのパーペチュアル カレンダーのムーンフェイズ表示に実際のカクタスジャックロゴを入れることができれば...彼の勝利だ。

先週のリリースの際にはふたつの製品が登場した。主力商品は、“チョコレート”ブラウンセラミックでリリースされた限定版ロイヤル オーク パーペチュアル カレンダー オープンワークだ。200本の限定で、価格は20万1000ドル(現在すべて予約・売約済み)。文化的な関連性はさておき、時計自体に興味がなければ、心からそれを認める覚悟はある。しかし、私は本当に気に入っている。スコットがこの色を“カクタスジャック”と名付けたように、チョコレートブラウンは、少なくともファッションにおいては本当に誤解されている色のひとつだ。しかし、イッセイ・ミヤケやグッチ在任中のトム・フォード(Tom Ford)が証明しているように、正しく行われた場合はその勇気に対するバロメーターとなる。ミウッチャ・プラダ(Miuccia Prada)は、“醜いもののなかにある美しさ”を信条としており、クールで峻厳なブラックに、豊かで暖かみのあるブラウンをよく組み合わせているが、それはある種素っ気のない“ファッションではない”ものだ。ブラウンは基本的に美的なニュアンスを楽しむ人向けの色だ。プラダ夫人がそうしているのなら、私たちもよろこんで従うべきである。

時計自体は明らかに、多くの人が“ラッパーにぴったりのジュエリー”と認識するよう進化したコンセプトだ。このフレーズの順番にはたじろいでしまうが、今日は当たり前のことを叫ぼう。この時計には宝石がひとつもついていない代わりに、私たちが目にするのはオーデマ ピゲとカクタスジャックの真のハイブリッドである。トラヴィス・スコットの手描きスケッチに基づき、特別にデザインされたカレンダーと週表示のタイポグラフィ、曜日のインダイヤルの針がブランドのロゴの形をしているなど、カクタスジャックのグラフィックを参照したデザイン要素が多数盛り込まれている。なかでも最も目につくのは、6時位置にあるムーンフェイズデザインである。通常の地球の衛星表現は、カクタスジャックの象徴である口を縫ったスマイリーフェイスに取って代わられたほか、ブルーとグリーンのコントラストが美しくもかなりイカした夜光を備える。クラブにふさわしい時計だ。

それからストラップがあるが、これは天才的だと思う。この時計をブレスレットにつけていたら、まったく別のものになっていただろうから。ブラックセラミック、フルブレスレットのロイヤル オーク オープンワークも好きだが、このデニムストラップは素朴で意外性があり、セラミックの素材感を引き立てている。ミウッチャ・プラダがブラウンブラウスにブラックショートパンツを合わせたように、意外性があり、脱構築的で洗練されていない感じを与える。そうすることで物事が少しカジュアルになり、ニュアンスが変わるのだ。それはマルタン・マルジェラのデコンストラクションのような、あるいはあえて言えば、カニエの簡素化されたイージー(カニエが手掛けたブランド)の美学をほうふつとさせる。とても現代的だ。チョコレートブラウンのフルセラミックモデルが出てきても、私は決して怒らないだろうし、それは(共同ブランドではなく)今後出てくるかもしれないとも想像している。しかし、ストラップがあることで、従来のオーデマ ピゲ セラミック ロイヤル オークの要素の一部ではなく、カクタスジャックのようになる。

この時計はオフショア(回帰)でも、CODE(強引に押し出す)でもない。そう、これは今業界で話題を集める素材、セラミックでできているが、モデル自体は本質的な“トレンディ”ではない。ブレスレット一体型ではなく、ストラップ付きのロイヤル オークなのだ。また高級時計製造において歴史的に権威のあるモデルだ。Cal.5134の進化版であるCal.5135は、オーデマ ピゲのパーペチュアルカレンダーを大幅にオープンワーク化したものである。最初にリリースされたブラックセラミックは、審美的効果を最大限に高めるための近代的な改良として、意図していたものだった。カクタスジャックリミテッドエディションはカッコいいし、オーデマ ピゲが最も得意とする複雑時計製造の証でもある。「パーペチュアルカレンダーは、私たちのDNAの一部です」と、オーデマ ピゲのコンプリケーション部門長であるアンヌ-ガエル・キネ(Anne-Gaëlle Quinet)氏は言う。「私はこれがアンティークコンプリケーションであるという事実が大好きです。パーペチュアルカレンダーは400年前から存在しています。古いものと新しいもの、ふたつの世界が融合した完璧な組み合わせなのです」。伝統的なコンセプトを正しくリミックスしている。

そしてもちろん付属品もある。“トラヴィス・スコットのウェブサイトのみで販売される服やアクセサリーの限定コレクションの一部収益はスコットが選んだチャリティ・プロジェクトや大義に寄付される”。このチャリティが何なのかが分かれば素晴らしいが、ここでの取り組みをいったん理解しよう。

この商品は新しいオーディエンスを開拓し、すでに歌詞からオーデマ ピゲのことを知っているが、どうやって参加すればいいのかわからないという普段と異なる消費者にもアプローチしようとしている。この時計は明らかに手軽なものではないし、金銭的にも到達は困難だろう。それは言うまでもない。この時点で、私たちはウェイティングリスト/アウトプライスゲームに慣れている。

「そこに“お金がある”かどうかはわかりません。ただ、トラヴィス・スコット、カクタスジャック、オーデマ ピゲと書かれたシャツを着て歩くなんて、10年、20年前に横行していた非公式のような夢物語です」と説明するカラマニカ氏。「どのような種類のコラボレーションであれ、そこには“潜在的消費者”の層が存在します。時計を買って、シャツを買って、コアなものを買う。そうすれば参加したことはないけれど、仲間にこのことを知らせたいという人が出てくるでしょう。小さな独占権を手に入れ、それを身につけ、周囲に自慢する方法として製品を利用するのです」。商品は補助的なものだ。時計を買う余裕がないので、次善の策としてこれを買う。カクタスジャックのブランディングはさておき、これはeBayでロレックスのベースボールキャップやポロシャツを買う人たちと変わりはない。ブランドと文化の一致なのだ。

ショパールからL.U.C ストライク ワンが登場

18Kゴールド製の25本限定記念モデルに夢中になっている。

ここ数年、ショパールはアルパイン イーグルをとおして、製品の構成を効果的に変化させてきた。この独立系ブランドは、古くからある名品を現代の消費者のために再形成したのである。L.U.Cラインにおけるムーブメント製造の観点から見ると、ショパールの異常なまでの仕事ぶりを見逃してしまうほどアルパイン イーグルは短期間で大きく成長した(その一部はアルパイン イーグルにも反映されている。こちらを参照)。アルパイン イーグルのファンである私は、全体的に薄いドレスウォッチのデザインから、オフィサーケースバックや文字盤の質感など、L.U.Cの製品にいつも驚かされる。これらの時計は、最高の時計と肩を並べるにふさわしい。

ショパール L.U.C ストライク ワン
そして今年、ショパールはドバイウォッチウィークにて、L.U.Cコレクションから18Kホワイトゴールド製のL.U.C ストライク ワンを発表した。この25本限定モデルは、ショパールが特許を取得したモノブロックサファイアの上で、毎正時チャイムを鳴らす時計である。40mmのケースには、ショパールのエシカルな18KWG素材を採用。リューズ一体型のプッシャーを備え、厚さはなんと9.86mmという驚異的な数字を実現した。

内部には2万8800振動/時で時を刻むL.U.C 96.32-Lを搭載し、パワーリザーブは約65時間を確保。ストライク ワンはクロノメーター認定を受けているほか、ジュネーブ・シールも取得している。そしてこのムーブメントを覆っているのは、ハニカムモチーフのハンドギヨシェを施した、美しいグレーグリーンダイヤルだ(それ自体もゴールド素材である)。また文字盤の1時位置は、ポリッシュ仕上げのハンマーが見えるようカッティングされている。チャイムを鳴らすのはまさにこのハンマーだ。サファイアクリスタルには、レイルウェイ風のミニッツトラックも刻まれ、そのすぐ下にはモノブロックのサファイアゴングもある。

Cal.L.U.C 96.32-L
分針が12時位置まで達するとチャイムが鳴るため、1日に24回、時を知らせることになる。ムーブメント自体にはツインバレルが搭載され、チャイムモードがアクティブになったときに、約65時間のパワーリザーブが実現する。

ショパール L.U.C ストライク ワンの販売価格は975万7000円(税込)だ。

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我々の考え
私がショパールと、特にこの時計について最も評価しているのは、全体の美しさからメカニズムに至るまで、真に完璧に考え抜かれている点である。2022年に初めて開発されたこのムーブメントの、リューズ一体型のプッシャーおよび着用者がリューズを介してチャイム機能を作動または解除したりできる機能は、間違いなく革新的なのだ。

ショパール L.U.C ストライク ワン
しかし、複雑ゆえにこの時計に興味を持たない人もいるかもしれない(価格を考えればそうなるはずだが)。ただ、落ち着いたトーンのグレーグリーンというギヨシェダイヤルは、まさにこのような時計にふさわしい、控えめな印象を与える。価格といえば、私はてっきり6万6600ドルよりもっと高いものだと思っていた。だからと言って“バリュープロポジション”という言葉を投げかけるつもりはないが、それにしても驚くべき値段だった。

またブランドは、チャイム機構の音響が一流であることを保証するために、かなりの努力をしていることも理解している。今すぐチームと一緒に、ドバイまで赴いてその音を生で聞けたらいいのに。もし現地からこの映像が撮れたら、ぜひシェアしたいと思う。

ショパール L.U.C ストライク ワンに搭載されたCal.L.U.C 96.32-L
今回のリリースで私が言えることは、次の四半世紀でL.U.Cがどのように進化するか楽しみだということだ。

基本情報
ブランド: ショパール(Chopard)
モデル名: L.U.C ストライク ワン(L.U.C Strike One)

直径: 40mm
厚さ: 9.86mm
ケース素材: 18Kエシカルホワイトゴールド
文字盤: グレーグリーン、ハンドギヨシェ
インデックス: アプライド
ストラップ/ブレスレット: アリゲーターストラップ

Cal.L.U.C 96.32-L
ムーブメント情報
キャリバー: L.U.C 96.32-L
機能: 時・分・スモールセコンド、アワーストライク
直径: 33mm
厚さ: 5.6mm
パワーリザーブ: 約65時間
巻き上げ方式: 自動巻き
振動数: 2万8800振動/時
石数: 33
クロノメーター: あり

価格 & 発売時期
価格: 975万7000円(税込)
限定: あり、世界限定25本

3年の開発期間を経て、リシャール・ミルは新しいRM 35-03を発表した。

RM 35-03は、特別な巻き上げ機構を備えた超スポーティな自動巻きモデルで、着用者の現在の活動レベルに応じて巻き上げ量を調整できるようになっている。すべての機能は、クルマをテーマにした“スポーツモード”ボタンと連動。必要に応じてローターを停止し、ムーブメントの巻きすぎを防止することができるのだ。

RM 350-03 Nadal
 ボタンやモードについては後ほど説明するが、RM 35-03はカーボンTPT(ケースとケースストラップは黒。多くの画像に写っているだろう)、ブルーとホワイトのクォーツTPT、そしてカーボンTPTにホワイトのクォーツTPTを加えたバージョンの全3種類で展開する。サイズは3モデルとも同じで、直径43.15mm、厚さ13.15mm、ラグからラグまでが49.95mmだ。防水性は50mで、価格は時計よりもはるかに重い。

 ブランドが“ベイビー・ナダル”と呼んでいる同モデル最大の特徴は、ケース側面の7時位置にある、前述したスポーツモードボタンだ。これに搭載された特別な“バタフライローター”システムは、本当は複雑な説明があるが、そのコンセプトは同ボタンを押すことによって巻き上げローターの重力を利用する能力を緩和できるというものである。この半分ずつにわかれたふたつあるローターを、中央のヒンジで固定されるように設計。このスポーツモードを使用するとその2パーツが扇状に広がり、エレメントが180°にわたって均等に分散されるため、ローターが回転する機能がなくなるというのだ。おわかりいただけただろうか。下のアニメーションでメカニズムを確認して欲しい。ほらね? 理解するのはそれほど難しくない(少なくとも機能レベルでは)。

rm 35-03 in action
 ここでのアイデアは、スポーツモードを有効にしてプロテニスのようなスポーティなことをしようとするとき、ムーブメントの追加巻上げを一時停止できるということだ。ダイヤルを見ると自動巻きが有効かどうか、オン/オフの表示があり、このシステムはほかのRMモデルで見られるファンクションセレクターと同じもので、ユーザーが3つのモード(時間設定の“H”、ニュートラルの“N”、ワインディングの“W”)を切り替えられるようになっている。

rm 35-03 nadal
 この機能は時・分・秒を表示するフルスケルトナイズの自動巻きムーブメント、Cal.RMAL2によって支えられている(前述した機能も搭載)。ムーブメントのブリッジと地板はグレード5チタン製で、2万8800振動/時で時を刻み、パワーリザーブは約55時間を提供。このパワーリザーブを支えているのがツインバレルシステムであり、どちらの香箱からでもトルクを計測できるためより正確な計時が可能となっている。

RM 350-03 Nadal
rm 35-03
rm 35-03
 すでに記載したとおり、ラファエル・ナダルとのつながりを持つ複雑なリシャール・ミル RM 35-03は、23万8000ドル(日本円で約3400万円)で販売される。

我々の考え
リシャール・ミルの腕時計は、常にさまざなシェイプとサイズで提供されているが、RM 35-03はブランドの中核をなす製品のように感じる。デザインの力強さ、ワイルドなケース素材、ギミックのようなスポーツモードへのこだわり、これらすべてがリシャール・ミルの伝統なのだ。

 “ベイビー・ナダル”シリーズ第4弾となるRM 35-03は、バタフライローターシステムを搭載し、遊び心あふれる機能を追加した。このようなシステムの必要性を主張することはできるだろうが、僕はこのような時計にはそぐわないかもしれないと思っている。ただ文字どおりの意味でも感情的な意味でも、エンゲージメントのために時計の自動巻きを止める機能というアイデアはちょっと気に入っている。最近の高性能車では、プログラム可能なモード(スポーツモードのような)が主要な機能としてセットされているので、25万ドルするリシャール・ミルを買おうとしている人たちのライフスタイルや経験ともつながりがある。彼らのクルマには、それを体験できるさまざまな要素をコントロールできるボタンがたくさんあるのだ。では時計になるとそれはないのか?

RM 350-03 Nadal
 しかし、リシャール・ミルの時計は文字どおり“モノ”として扱う必要はない。スーパーカーのように、これらの腕時計は実用性や機能性で評価されているわけではない。むしろ、これらは感情、コレクター性、生の魅力としての対象であり、スポーツモードがこれほど適切だと感じる時計はない。もし可能なら、コメントで教えて欲しい。

基本情報
ブランド: リシャール・ミル(Richard Mille)
モデル名: RM 35-03 オートマティック ラファエル・ナダル(RM 35-05 Automatic Rafael Nadal)
型番: RM 35-03

直径: 43.15mm
厚さ: 13.15mm
ラグからラグまで: 49.95mm
ケース素材: カーボンTPTまたはクォーツTPT
防水性能: 50m

RM 350-03 Nadal
ムーブメント情報
キャリバー: RMAL2
機能: 時・分・センターセコンド、スポーツモード、ファンクションセレクター
直径: 31.25mm×29.45mm
厚さ: 5.92mm
パワーリザーブ: 約55時間
巻き上げ方式: 自動巻き
振動数: 2万8800振動/時
石数: 38
追加情報: 特許取得済みのバタフライローター

価格 & 発売時期
価格: 23万8000ドル(日本円で約3400万円)

宇宙飛行士であり米国上院議員のジョン・グレン(John Glenn)が所有していた2本の腕時計が出品される。

ブライトリングのコスモノート Ref.809 “スコット・カーペンター”モデルと、ジャガー・ルクルトをカスタムオーダーしたRef.3027 “ラッキー13”ウォッチである。どちらの時計も、2018年3月にグレンの個人資産の遺品整理セールで購入されたものだ。HODINKEEの寄稿者であるジェフ・スタイン(Jeff Stein)氏は同オークションで3本の時計を購入した。この記事では、売却の背景、ジョン・グレンの時計をどのように追跡したか、またその追跡がどのようにしてNASAの7人の初代マーキュリー宇宙飛行士に支給されたか、これまで知られていなかった時計の発見にどのようにつながったのか、販売の裏話を語っている。


フィリップスの“Game Changers”オークション、ロット14である、ブライトリングのコスモノート Ref.809。


同オークションのロット13は、珍しいルクルト ラッキー13 ウォッチ。同じくジョン・グレンの遺品である。

 アメリカ東部時間帯に住む時計コレクターにとって、朝は1日のなかで最もエキサイティングな時間である。私のスマホ画面が5時30分か6時に目を覚ます頃には、ヨーロッパとアジアの“時計仲間”がチャットをしている。ウェブサイトの多くで新しい時計が売りに出されるし、時計の世界ではいくつかのニュース速報が届く。最高の日には、UPSまたはFedExから荷物が日中に配達されるというアップデートもある。チャットは1日中続くが、議題は通常、最初の数時間で形成される。

 2018年3月8日(木)の深夜、私は友人から簡潔なメッセージを受け取った。“これは一体何なんだ?”。彼はInstagramの“Watchknut”というアカウント のスクリーンショットを添付し、ブライトリングのコスモノートのクロノグラフがジョン・グレンの遺品整理(エステート)セールで売却されたことに言及した。彼のInstagramの友人のなかに、この時計を買った人がいるかどうかを尋ねた。Instagramに投稿された画像には4本の腕時計が写っており、黒くて大きなコスモノートはほかの3つを圧倒していた。その投稿のコメントは答えよりも質問のほうが多かった。なぜジョン・グレンの遺品整理セールのことを誰も知らなかったのか? オークションはどこでやっていたのか? オンラインまたは電話入札で時計を購入できるか? そのすべての答えは“まったく知らなかった”。

 私がすぐに感じたのは、珍しいものや古いもの、たぐいまれな宝石がほとんどの場合、2度と見ることができないまま消えていくのを目の当たりにしてトラウマに苦しむ人たち特有の、胸が張り裂けるような痛みだった。私は1962年からジョン・グレン大佐のファンであり、2006年以来、彼の時計に興味を持っている。スコット・カーペンター(Scott Carpenter)が宇宙で着用したこのスペシャルなブライトリング・コスモノートは、数年前から私の“最も欲しいもの”リストのトップにいた。


ジョン・グレンのブライトリング コスモノート Ref.809。

 ジョン・グレンの3本もの腕時計が、私の耳に入ることなく遺品整理セールに提供されるはずがない。通常のディスカッションフォーラムやソーシャルメディアをチェックすると、その遺品整理セールは時計収集コミュニティ全体のレーダーの下にあったようだった。最も厄介なのは、地元のセール業者である“ピッカー”たちが、その時計を持ってグレン・ハウスから出て行く姿を思い浮かべたことだった。

クリスティーズもサザビーズもない。オンラインカタログもない。ただ地元のエステートセール会社が、まるで彼が普通の人であるかのようにジョン・グレンの遺品を売却したのだ

 私の怒りはすぐに調査へと変わった。Googleで検索したところ、 グレーター・ワシントン・エステート・セール・サービス(Greater Washington Estate Sale Services)という会社が、3月8日(木)から3月11日(日)まで、ジョン・グレンの遺品を売却していることを確認した。そこはアトランタにある私のオフィスから、641マイル離れたメリーランド州ポトマックにあるグレン旧邸宅で開催されていた。


メリーランド州ポトマックにある、彼のかつての自宅で所持品のエステートセールが展示された。Photographs courtesy of Greater Washington Estate Services.

 クリスティーズもサザビーズもない。オンラインカタログもなく、検索も閲覧もできなかった。ニューヨーク・タイムズ誌にプレスリリースや全面広告も掲載されていない。ただ地元ワシントンD.C.のエステートセール会社が、ジョン・グレンが以前住んでいた家にあった遺品を、まるで彼が普通の人であるかのように売却したのだ。


グレーター・ワシントン・エステート・サービスのウェブサイトに掲載された、ジョン・グレンコレクションの時計の写真。Photograph courtesy of Greater Washington Estate Services.

 EstateSales.netのページには263枚の小さな写真が掲載されていて、それを見ると何千もの遺品が販売されていることがわかる。グレンが海兵隊にいたときに着ていた革のフライトジャケットと、宇宙服を着た“ボンゴ”という名前の2体のビーニー・ベイビー人形もあった。またクリスタルからコロン、庭の道具、カフスボタンまで、セール品は日用アイテムでいっぱいだった。グレンが宇宙飛行士として、また米国上院議員として受け取った何百もの贈り物も見受けられた。そしてそのなかに、8本の腕時計が載ったトレイがあった。

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ミッキーかウィリーか
 グレンの私物の写真をめくっていると、1960年にタイムスリップした。当時の子どもたちは、スポーツチームやアスリート、ミュージシャンを応援するのと同じように、マーキュリーの宇宙飛行士を応援していた。ミッキー・マントル(Mickey Mantle)かウィリー・メイズ(Willie Mays)、ドジャースかジャイアンツ、フォードかシボレーのそれぞれのペアから、子どもはひとつ(そしてひとりだけ)を応援することができたのだ。そこにジョン、ポール、ジョージ、リンゴも加わり、友人らも自分のお気に入りを宣言していた。


マーキュリーセブンの宇宙飛行士。左から カーペンター、クーパー(Cooper)、グレン、グリソム(Grissom)、シラー(Schirra)、シェパード(Shepard)、スレイトン(Slayton)。

 マーキュリーセブンの宇宙飛行士もそうだ。彼らの名前であるふたつのC(カーペンターとクーパー)、ふたつのG(グレンとグリソム)、そして3つのS(シラーとシェパードとスレイトン)は今でも私の心に刻まれている。海軍、空軍、海兵隊など、自身が所属していた兵科に基づいてお気に入りを選ぶ友人もいた。メディアは彼らの笑顔、ウィットさ、そしてもちろん妻たちの姿を見せてくれた。


ジョン・グレンは第2次世界大戦と朝鮮戦争で、6つの殊勲十字章を受章した。

 ジョン・グレン大佐は、マーキュリーセブンのなかで最も好きな人物だった。彼は7人のなかで唯一の海兵隊員である。第2次世界大戦と朝鮮戦争で飛行し、6回の殊勲飛行十字章を受章している。1957年、彼は平均超音速で初の大陸横断飛行を達成した。1962年2月にアメリカ人として初めて地球周回軌道に乗ったことで、祖国にとって非常に重要な英雄となったため、彼が遭難するのを恐れてジェミニやアポロでの2度目の飛行は許されなかった。

 私はマーキュリーの宇宙飛行士のことを思い出したが、すぐに目の前の仕事に戻った。残っている7本の時計の写真を見ながら、自分が欲しいと思う時計があるかどうか、これらの時計のひとつを購入することができるかどうかを考えた。

 7本の時計を特定するのは簡単なことだった。1940年代か1950年代のハミルトンで、“時刻表示のみ”のミリタリースタイルウォッチが2本。ルクルトの時計が2本で、ひとつは24時間表示の文字盤、もうひとつは各時刻に“13”と記された文字盤。1960年代半ば製のブローバ 2レジスター クロノグラフ。そしてプラスチック製のセイコー パルスメータークロノグラフに、金メッキのエルメス ワールドタイム懐中時計だ(このセールには、ペンダントウォッチやアニメのキャラクターウォッチなど、いくつかの地金製時計も含まれていた)。想像上“何を選ぶか”について、そう時間はかからなかった。

インド洋の難破船で発見された、“DIVEX”のダイバーズウォッチ

「キャプテンの時計だよ」。私が小さなパンガボートに乗り込んで重いダイビングセットを脱いだとき、フェリシアン・フェルナンド(Felician Fernando)がこう言った。彼は広げた手を差し出し、そこには塩にまみれた腕時計が乗っていた。1時間ほど潜った後の出来事だ。私は熱帯の明るい太陽の下で目を細めながら、それを調べようと身を乗り出した。もちろん、これはフェルナンドの冗談だった。私たちは、1942年にスリランカ東海岸沖5マイルで日本軍の爆撃によって沈没したイギリス軍艦、ハーミーズ(HMS Hermes)へのダイビングを終えたばかりだった。彼の手に握られていた時計は第2次世界大戦時にイギリス海軍で使用されていたオメガではなく、現代のクォーツダイビングウォッチだ。見ての状態にもかかわらずまだ忠実に時を刻んでいた。日付も正確だった。


かつてこの場所に浮かんでいたハーミーズは、世界初の航空機専用空母であった。

 波の下に沈んだ宝物を見つけるのはダイバーの夢であり、こと時計愛好家たちは、それが誤って海に落とした古いロレックスという形で現れるかもしれないという希望を常に持っている。フェルナンドが見つけた時計は特に価値のあるものではなかったが、それでも信じられないような発見であり、私の長年の夢であった世界初の航空機専用空母に潜るという夢にさらなる興奮を与えてくれた。この時計が水深175フィート(約53m)の海中に沈んでも正確に動いていたことが、その頑丈さを証明している。しかし同時に、この時計はどんな種類のもので、いつからそこにあったのか、誰のものなのか、といったいくつかの興味深い疑問も浮かんできた。

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 バティカロア郊外にあるフェルナンドの小さなダイビング拠点、ディープ シー リゾートまでクルマで戻ったあとで、私はその時計をさらにじっくりと観察する機会を得た。分厚い外皮を少し取り除くと、4時位置にあるリューズと、一般的なSKXシリーズのセイコーに見られるような特徴的な針を備えた、極めてセイコー的なダイバーズが現れた。しかしそのロゴには“DIVEX”とあり、商業用潜水帽をかぶったダイバーの小さなイラストが描かれていた。ダイヤルの下部には、“Professional 200m”とある。通気性のあるラバー製ダイビングストラップはケースの12時側のケースに両端がバックルで固定されたまま取り付けられていたが、6時側の取り付け部は明らかに破損していた。ダイバーが手首を自分の道具に引っ掛けたり、探検中の沈船の一部に引っ掛けたりして、バネ棒が故障したのだろう。


ダイバーのフェリシアン・フェルナンドは、水深175フィート(約53m)の海底でDIVEXの腕時計を発見したあと、それをすぐにポケットにしまった。

 DIVEX社は、スコットランドのアバディーンを拠点とする有名な商業用潜水機器メーカーである。そのルーツは1980年代初頭にさかのぼり、北海をはじめとするオフショア石油およびガス産業に従事するダイバーに広く使用される革新的な混合ガスシステムを開発したことに始まる。多くのダイブギアメーカーと同様、DIVEX社もブランドのダイブウォッチを販売しており、沈没船ハーミーズで発見されたのもそのひとつである。どのメーカーがDIVEXのためにこれらの時計を製造しているのかは不明だが、“Professional 200m”の時計は、“Apeks(エイペックス)”、“Aqua Lung(アクアラング)”、“Tauchmeister(トーチマイスター)”といったほかのブランド名で販売されているものと同様である。すべてセイコーのVXクォーツムーブメントを搭載しており、DIVEXにおいては完璧な精度を保っていた。確認できる最新の情報としては、DIVEXはこの時計を83ポンド(約108ドル、当時のレートで約1万2500円)で販売しており、バネ棒はともかく、完璧に機能するダイバーズウォッチがそれほど高くない金額で手に入るという事実を証明している。

 時刻が正しかっただけでなく、日付も正しかった。それが次の謎につながった。この時計はいつから水中にあったのだろう。私がハーミーズで最後に潜ったのは8月28日だった。その前の月は7月で、31日まである月だったが、その前の6月は30日で終わるため、もし時計がその期間に潜水していたとしたら日付は1日ずれていたことになる。つまり、7月のある時期にはそこで行方不明になっていたことになる。実際、私の素人調査は必要なかった。フェリシアン・フェルナンドは、それが誰の時計なのかすでに見当をつけていたのだ。


DIVEXのProfessional 200mは、その1カ月前にスリランカ海軍のダイバーによって紛失されたものだった。

 その約1カ月前の7月25日、英国海軍のダイバーグループがスリランカに滞在し、スリランカ海軍のダイバーたちとともにハーミーズに潜った。それは追悼の意を込めたダイブであり、75年前にこの巨大な船が沈没した際に亡くなった307人の船員に敬意を表して、彼らは沈船に英国海軍の軍旗を貼り付けた。ダイビングの後でスリランカ人ダイバーの下士官のひとりが、フェルナンドに沈船の船尾付近で腕時計をなくしてしまったと話した。私とのダイビングでフェルナンドは、いつものように30ファゾム(約55m)の暗がりを強力な懐中電灯で照らしながら探索した。彼は水深175フィート(約53m)の海底で、ひっくり返ったプロペラの近くに時計を見つけた。彼はそれをポケットにしまって、私たちはこのダイビングを締めくくったのだ。

 バティカロアに戻ったフェルナンドは、旧港町トリンコマリーにあるスリランカ海軍潜水部隊の担当者と連絡を取り、時計を見つけたことを伝えた。私はダイビングを終えてトリンコマリーへ向かうところだったので、そこでフェルナンドの息子に時計を預け、正当な持ち主に引き渡したいと申し出た。彼は塩分を取り除くために淡水に浸すことを提案したが、持ち主が幸運のお守りや記念品としてこのまま持っていたいと思うかもしれないので、そのままにしておこうと伝えた。私ならそうするだろうし…、まあ、私は少しセンチメンタルな人間なのだ。結局、私は妻から40歳の誕生日プレゼントにもらったノンデイトのサブマリーナーをつけてハーミーズに潜った(アドミラルティグレーのNATOストラップでしっかり手首に固定した)。


ロレックス サブマリーナーを着用し、ハーミーズ号にダイビング中の筆者。

 DIVEXに関する最後の謎は、その外観だった。わずか1カ月の水中生活のあいだに、なぜこんなに表面が錆びついてしまったのだろう? 学生時代に化学で挫折しそうになった経験がある私は、海洋考古学者から冶金学に精通した宝石商まで、より知識を持った人々やほかの時計マニアに相談した。意見はさまざまだったが、大多数が電解腐食説を支持した。

 米国ボートオーナー協会のWebサイトに掲載されている海洋腐食に関する記事によると、以下のとおりだ。「ガルバニック腐食とは、2種類以上の異なる金属間の電気化学反応である。反応が起こるためには、ある金属がほかの金属よりも化学的に活性状態でなければならない(あるいは安定していなければならない)ため、金属は異なる種類のものでなければならない」。

 これはDIVEXの時計に付着した塩分の分布と一致しているようで、アルミニウムを挿入したスチール製ベゼルの周囲に集中している。この腐食についての記事によると、ガルバニック腐食はふたつの異なる金属が“接触”し(実際に触れ合うことで 接合され...)、導電性溶液(電気を伝えることができるあらゆる液体)に浸されたときに発生する...、らしい。海水は非常に導電率の高い液体であり、導電率は水温とともに上昇するという。


沈没から75年を経たハーミーズの右舷プロペラ。

 アルミニウムとスティールが非常に温かい(約30度)海水のなかで触れ合うことはガルバニック腐食の条件を見たしており、これは車のバッテリーの端子部分に見られるような腐食に似ている。この塩分の蓄積は、海水に長時間さらされた後で十分にすすいでいないダイバーズウォッチのベゼルを硬化させる傾向がある。このDIVEXウォッチのコンディションはその極端な例であり、スプリングバーの故障だけでなく、ダイビングウォッチを深く潜った後に水洗いをすることの重要性についても教訓を与えてくれるものだ。


この時計のガルバニック腐食は、腐食が時計の広範囲に及ぶ可能性を示している。

 スリランカの古い呼び名はセレンディブで、そこから“幸せな偶然”を意味する“セレンディピティ”という言葉が生まれた。私は長年にわたって、ダイビング中にレビューした時計について多くの記事を書いてきた。しかし、今回のハーミーズの冒険では、自分自身の楽しみのためにダイビングをし、自分の時計を身につけながらバケットリストの項目を達成しようと決めていた。だから、ダイビングによって時計のストーリーを作るのではなく、時計のストーリーのほうから私の前に現れたというのは、セレンディピティというにふさわしい出来事だった。沈没した財宝は、金の宝箱やロレックスである必要はなく、単に長く記憶に残るいい物語である場合もある。今回の出来事は、結局はそういうもののほうがより貴重なのだ、ということの証左でもあった。

 私は常々、腕時計の最大の価値はそれを身につけていたときの冒険の思い出にあると語ってきた。だから、スリランカ東海岸の海軍の前哨基地のどこかに、ちょっと古ぼけたダイブウォッチを見下ろしてハーミーズに潜った日のことを思い出しているダイバーがいたらいいなと思っている。そしてそのことを、私は知っている。